昨夜、酒場で盛り上がった話のこと

昨日、酒が入りながらも白熱して話していたこと。
三十代で学生とニートという二人。組んで何か事業をやれないか。とりあえず僕のコンテンツだかスキルだかを軸にしたいという彼。だとするとまあ、東大ということしかない。

僕自身そうだったが、漫然と東大なり大学なりを目指すということも多い中で、大学に入った先には何があるのかを伝えるような場をつくりたいというような話に。

通う学校で進学を当然に目指すよう仕向けられている生徒には、改めて自分がしようとしていることの意味を自覚してもらえるし、そうではない生徒には、まず進学を動機づけられるかもしれない。

それで僕には具体的に何ができるかと考えると、東大に長くいるという経験と、東大の歴史を研究しているということから、東大というところが、どういうところで、何が行われているところかを伝えるということになろうか。

自分の受験時代を振り返っても、大学に入るためのあれこれを教えてくれる教師はいても、つまり大学の入り口手前までのことは教えてくれても、大学に入った先に何があるのかを見据えさせてくれる人はそうそういなかった。見据えさせることを標榜している”ハイレベル”な塾ですらそうだった。

結局は、高大接続というような話になるのかもしれない。いま勉強していることが大学に入ってからどういう話になっていくのかということは、国語や社会についてであれば、僕はいくらか語れるかもしれない。現代文で扱われるトピックの思想的背景や、暗記科目とされる歴史が、政治学等の分析と出会うと起きることなど。

受験教科や試験問題という箱庭の中での処理しか教えてくれない受験指導に対して、その箱庭がどう出来ていて、箱庭の外には何が広がっているかを示すというところだろうか。

箱庭の外に出た後、大学に入って、解像度の低い地図だけを持たされて一人彷徨う中で道を開いていくのが真っ当な学生生活だというのも一つの立場だろう。それでこそ身に着くものというのも確かにある。しかし、やはり最初から解像度の高い地図が手にできていたら、しかも箱庭のうちにいるうちから、地図を見ながら外の世界の広がりに思いを馳せられたらと思いもする。

またそういうことは、僕なんかよりよっぽど研究が分かっている大学教員がやればいい話の気もするが、しかし先生方は時間的な余裕に乏しいだろう。いつまでも学生をやっているような、そうしてこの先、学生に毛が生えたくらいにしかなれずに、時間だけはあるというような僕にこそ出来ることもあってくれというところ。先生ではないけれど、なんか変な先輩(?)というような立ち位置でできることはないだろうか。

学校の先生も、塾の先生も、大学の先生もそれぞれ、そういうことはできていないのではないか。先生の側も時間がないし、生徒の側だって同じ以上に時間がないだろう。だから生徒を取るとしても、ターゲットはかなり限られる。時間や金銭、気持ちその他に余裕がある人でないとたぶんダメだ。どんどん色々な余裕がなくなってきている今の日本にそんな人はどれだけいるだろうか。

そう考えてくると、途端に現実味は薄れてくる。事業としてペイしないのでは。というところで、トーンダウンしながら、次の話へと移っていった。

今回は、東大とはどういうところかというのをコンテンツに僕が話すことで人を集めるということで話が広がっていったけれども、昨日を待つまでもなく、なんかよくわからない経歴になっている僕がなんか面白い話をして人を集めたい、そうして集まってくれた人々がコミュニティを成してくれたら万々歳!というのは、ずっと考えてきたところで、彼もそろそろ何か働き出さなければと自分の方で考えていただろうところで今回の話を引き出してきたのはさすがである。

現実的なことを言えば、事業として成立するか、ツッコミどころがいくらでもあるだろう。しかしもし、何らかの先生というのではなくて、生徒段階にある人たちに、大学とはどういうところか、学生になるとはどういうことかを十全に伝えられるとしたら、かなり意義深い活動になるのではないか。

しかし仮に意義がそのようにあったとして、ここまできてこういうことを言うのもどうかと思うが、それが、僕自身が本当にやりたいことかはまた別の話であったりもする。正直なところ、生徒向けの塾みたいな方面はあまり気乗りがしないでずっときている。塾的なことをやるとしても、どちらかといえば、大人を相手にしたいでいる。それは結局、コミュニティを作りたいといったときに、どういう人たちとコミュニティを作りたいのかということにつながるのかもしれない。生徒たちのような年代を糾合して、ということにはあまり気が進まないのである。

このnoteを書く前にXに、次のように書いた。
「進学してからも昔の部活に顔を出してばかりいるようなOB、公園で小学生と草野球しているような年長者というのは、基本的に揶揄なり批判なりの対象だろうが、しかし、大人のコーチでもない、そういう立場を肯定的に転じさせてそれを演じるしか、この先の僕の活路はないと思うなど。」

実際、そういうところにしか活路がないような気もするが、しかし本当に進みたい路ではない気もしている。しかししかし、進みたい路を進めないできたがゆえの今の境遇でもあるので、これまた進みたくもない路を進んでこそ、かえって道が開けるのかもしれない。

結局、自分は何がしたいんだ、何が出来るんだ、その齟齬やらなにやらで迷いながら、さらに酒も進んでわけもわからなくなってきて、また中途半端なところで話は止んだ、そういうところかなと思う。この記事もまた、そんな感じでよくわからなくなったところで終わる。

僕は何が出来るんだろうか。何をやりたいんだろうか。


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