32歳で潰れそうな家業を経営再建した話 2/3

顧客が不渡を出した情報は直ぐに仕入れ先へ伝わりました。日々の仕入を断られ業務に支障が出始めました。仕入先の担当者から面談のアポが次々と社長宛に入り始めました。再建を諦め全てを放棄してしまった父の代わりに私が対応しました。銀行からは担保増額要請が来ましたが、要請は全て断りました。社員には不安が広がっていました。
話を聞いた金曜日の午後から月曜日の明け方までかけて再建計画書を作りました。キャッシュフローを計算すると2月末には1億円足りない事がわかりました。銀行から新規融資を受けるのが難しい中でキャッシュは目に見えて減って行きます。再建計画を実行すれば黒字化出来る見通しはありました。ただ今必要なのは時間でした。
月曜日に主要仕入先へ再建計画を説明しました。仕入が出来なければ売る事が出来ません。再建計画の概要は商品の継続的な供給と手形決済を3ヶ月分猶予(それを2年間分割で支払う)して貰う事。その条件として、会社の資産を売却し出来る限り支払いに充てる事で交渉を行いました。
土曜日に仕入先の審査部長が数人の部下と一緒に来社し、会社の帳簿、登記簿、権利証等資産状況の監査を行いました。そして再建のサポートが決定しました。条件は会社と父と叔父が所有する不動産に担保設定をする事、取締役であった父と叔父2人は退任、代わりに私が代表取締役になる事でした。
主要仕入先からのサポートを受け、取引銀行に再建計画を説明して1年間のリスケを受け入れて貰いました。主要銀行が受け入れてくれれば他の銀行も基本的に同じ対応をしてくれますが(リスケを行う場合、各銀行間の条件を平等に整える必要がある)、各銀行で微妙に対応は異なります。例えば、東日○銀行の支店長は「自宅を担保に追加しろ」と言って来ましたが、「他行にも出していないし、貸し出しした際に担保評価をしたのはそちらなので、追加融資のない中で追加担保を出す事は出来ない」と断ると「そんな覚悟のない奴とは付き合えない」と言われました。言いようのない怒りがこみあげて来ました。そこの銀行口座からはすぐに全てのお金を引き上げ、他行の口座へ移し、実質的に返済しない状況を作りました。幸い支店長が変わり、新しい支店長が異常事態に気が付き、きちんとリスケして頂けましたが、これには約半年かかりました。
当時、父と叔父達は事の深刻さを理解していませんでした。今をやり過ごせば、紙を知らない私に経営する事は出来ないから自分達が取締役に復帰し(もしくは取締役を退任せず)、以前と同じように出来ると考えていたようでした。叔父は以前の様に社員に指示を出し始めました。非常事態にも関わらず社員は混乱し以前の状況に戻り始めました。
仕入先の取締役と審査部長が私と一緒に父を説得してくれました。父と叔父達は取締役を退任し、私が社長になりました。これで現場の混乱はなんとか収まりましたが、また別の問題が噴出してきました。
まず直面したのは翌月の手形決済に対してキャッシュが足りない事。業界の慣習で、売掛金の回収は手形が多く割引が必要ですが、リスケした銀行は新たな割引(割引は新規融資になるのでリスケ中の会社に行うのは難しい)を行いません。新たな取引銀行が必要でした。
毎日銀行を回りました。取引銀行の対応が酷く窓口で声を荒げた事もありました(ちなみに窓口で声を荒げると奥の個室へ案内されました)。今の決算書で新規融資を行なってくれる銀行はなかなかありません。それでも諦めず毎日断られてはツテを頼って銀行を回りました。結果、手形決済日の1週間前に割引きのみ対応してくれる信金に出会うことができ、事なきを得ました。
次に解決しなければいけない問題は叔父達の不正でした。叔父の一人は真面目な人でしたが、商品の横流しという不正を行っていました。後にバブル期の投資で借金を抱えて仕方なく(本当は仕方ない訳ではありませんが)ということが分かりましたが、父も他の社員もその不正を以前から知っていて見て見ぬふりをしていたのです。結局、この叔父の件は裁判(社員に証言を求めるのは酷なので探偵を使い証拠を用意しました)にまで発展し、ただ叔父にも生活があるだろうと心配して退職金を支払うことで示談にしました。身内だからと情けをかけたつもりが、辞める時に叔父から「夜道を無事に歩けると思うな」というドラマの様な言葉を投げつけられました。
もう一人の叔父は営業担当取締役の立場を利用し個人的な支払を経費にしていました。他の営業マンが憤っていたのは、営業中に愛人を連れてランジェリーショップへ入って行った場面をお客様に目撃された事や愛人の使用するガソリン代が全て会社に付けられるようにガソリンスタンドのカードが渡されていた事でした。営業担当なので顧客との取引に影響の少ない様に弁護士と慎重に対処しました。叔父は退職後紙屋を始め、何社かの顧客は叔父との取引を始めました。
こうして父達の退任が決まると古参の社員も辞めました。工場長・副工場長も退職しましたが、当時入社したばかりの一人の社員が頑張って現場をまとめてくれました。彼は後に工場長になります。残った社員、顧客、仕入先、銀行、製紙会社の協力により利益はV字回復しました。

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