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自暴自棄

駅で体育座りして頭を突っ伏せ、待っている。深夜1時前。終電ギリギリの時間に彼を呼び寄せたことを、半分面倒だと思いながら、酔っ払いの無理な誘いに乗ってくれたことへの申し訳なさが勝ってしまった。来る途中、自宅アパート階段を慌てて降りた際に負った、膝の擦り傷から血が滲んでいる。32歳にもなって、何をしているんだと自分に呆れる。若者が「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれるが、顔を上げると心配する振りをしながら、すすーっと後ろに下がり去っていく。じゃあ声掛けんなよ、と心の中で毒突きながら、それならこれから来てくれる若者に違いない彼は、結構いい人なんじゃないかと思う。

駅に着いた彼は、にやつきながら手を振って向かってくる。そんな彼は視界でぼやけ、終電に乗って来た人がこんなにいるのかと驚く。いや、この驚きはこの街にこんなに人がいたのか、それなのにこの人よく見るなあと思う人がいないことへのやつだ。この街に越して来て3年目。もう常連だと思っていたのに、顔見知りなどいない。それどころか、ここに来てどれくらいの男たちといびつな関係を繰り広げているんだろう。30分もかけてやって来た彼に溜息をつく。

コンビニに寄り、適当に酒を買い込むが、彼は酒が飲めない。甘いジュースやお菓子をカゴいっぱいに入れてくる。もちろん会計は私だ。このやろうと思うが、そんなことはどうでもいい程に、最近は1人でいるとおかしくなりそうなのだ。一緒に過ごすと食も服も音楽の趣味も、人との距離感も、言いたくない言葉たちも、何もかも合わない彼。それなのにいないよりマシだと思えている自分は、今何かの病気なのだろう。

たっぷり買い込んで自宅に着くと、早速彼は常軌を逸した様子だ。こういうところも嫌いだ。甘えた表情も、妙に長過ぎる舌も、笑い方も。唯一良いところは、勝手に喋り込んでくれるところだ。腹部に女性らしきタトゥーを入れた彼は、私の知らない世界を歩いてきた一面があって、話はそこそこ面白いのだ。しかしこちらが聞きたくないことまで長々と喋ってしまう、調子に乗りやすい性質もある。今日も適当に相槌を打ち、彼と距離をとりながら酒を飲み、早く朝になれと思っている。

次の朝、彼は上機嫌でまた私が興味のない話をしている。勝手に冷蔵庫を開けて、昨日買い込んだジュースを飲み干した姿を見て、早く帰ってくれないかなと苛ついている。そうしているうちに、前々から注文していたラグが届いた。私はそちらに夢中になった振りをして、彼の話を聞き流しながら広げ、テーブルの下に敷いてみる。灰色地に、白いラインで幾何学模様が並ぶ。その模様の継ぎ目に、オレンジと緑の四角いチップが交互に色づき、とても可愛らしい。気に入った。こちらもご機嫌でいると、彼が1番に寝転んだ。また嫌いなところが増えた。

夕方からの用事を、あたかも早い時間になった風に装い、さっと外出準備をする。彼はごねながら、それでも慌てて服を着て帰る準備をしている。そこのところは素直で助かる。家を出て、同じ電車に乗る。その間彼がたくさん話していたが、その内容は今となっては全く覚えていないし、その時も聞いていなかった気がする。

唯一覚えているのは、今度いつ会おうとかなんとか言っていたが、その場で何か取り繕ったこと。そして、それ以来彼に返事をすることを止め、遂に二度と会うことはなかったこと。それでも、彼に助けられた時間は確実にあったということだ。

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