「俺の生きている姿を見てほしい」 借金500万円の新社会人、そして返済と独立起業。 人生がネタに富んでいる。いや、自分で生きていてもう飛んでいる。 楽しく生きることの参考にしてほしい。 新卒2年で8億円利益入金/起業8回/逮捕歴/海外在住(南ア、ケニア)
僕のジェットコースターのような人生について話をします。 今まで踏んできた地雷の数とメンタルの保ち方について話をしていきたいと考えています。記事をと動画を随時アップデートしていきます。 掲示板で質問にも答えていきたいと考えています。
毎月一回テニスの練習会を行います。 また元日本代表の鈴木翔太郎プロの育成中のプロの試合を間近でみたり、テニスの世界の裏側までしっかり見られるようなプランになっています。
下村岳人
人生を乗り物で言うとジェットコースター。 上がったり下がったりしながら前向きに生きている人生の話をいろんな人に知ってもらいたいです。 オープンハウスでの修行と戦いの日々を終えた。 起業するまでも落とし穴があった、ここにあるのかよ... 約1年間起業するまでの話を記載していきます。
今まで書いてきた内容は過去を遡った内容に関して言及してきたものがほとんどだった。今、取り組みをしている内容のものを書いていきたいと思う。 思い描いていることは、拠点を3カ所にすること。 「どこかにいる人間」 という概念ではなく 「どこにでもいてどこにでもいない人間」 こういう形で考えている。
西野さん 起業直後は彼のネタで埋め尽くされているといってもいい。 悪口とかではない、この感覚は当時の僕を知っている人でないとうまく共有することはできない。できないのだが、今までいろいろな人と接しながら生きてきたが彼は私の記憶のなかでも異彩を放っていると言える。
家賃14万円。 ここに事務所と男2人が住むということ。 何てランニングコストが低いのだろうか。 これが私と西野さんの一番初めの起業の場所になった。 西新宿三丁目の雑居ビルの中だった。 シャワーがついていることもあり、生活することには困らなかった。 私自身、幸か不幸か水がないような高山に幼少期に父親に連れていかれたり、雪山というほどハードではないがビバークさせられたり、およそ文化的な生活ではない経験をしていたこともあるだろう。
「営業でどこまででも稼いでやる」 圧倒的な自信があった。 各スポンサーとして案件にお金を張ってくれる会社さんたち。 彼らの融資の枠をすべて使い切るくらいまでにやってやる。 その気概を持って普段の活動を行っていた。
「事務所戻ったら西野さんが裸で出てきた」 これは笑える話だ。 事務所と家を一緒にしていたから起きた出来事でもある。
「これはでかいな、手取りが3,000万円」 1億円の利益のうち30%を利益の配分として受ける契約になっていた。 つまり3,000万円の利益を受け取ることができる。
「1億円の利益がでるというのか?!」
31,000万円の契約だった。 目黒区中目黒三丁目の収益物件。 160坪、年収が3,200万円だっただろうか。
ついてるとしか言えない。 これはそんな状態だと思う。 中目黒の物件の情報先は測量士だった。 オープンハウスのときに何回か取引したことがある測量士だった。 彼は私が好んで取り組む、「なんだか複雑な事情がおおくある物件」を数多く測量していた。
「収益物件ってなんだろう」 今では物件を見た時にこういう感じなんだな、そう思ってみることができる。しかし、13年前の私には何が何やら全然わからなかった。
サラリーマンになるということ。 それはつまり作られたゲームのコントローラのボタンが一つしかついていない。これをどれくらいたくさん押すことができるかを競う競技なのだと思う。
起業すると決まってからの案件の数はとにかく多かった。 「契約するんだ」 この意思を強く持つとともに案件が出てきた時に反応もよかった。目の前にあるものをどうにかしていかないと生きていくことができないのだ。
人生初契約、そして起業してからの初契約。 この2つが同じ不動産会社とできるということは運命と言わざるを得ない。 西馬込駅前にある不動産の管理会社の浅場という業者との取引だった。
「これから1,000万円分の入金がありますよね!」 渋谷のジェクトワンに着いた私は月村さんにお願いする。内容はいたってシンプルだ。
「え、そんなにお金かかるの?」 会社を作るのに必要な、定款。 会社の説明書みたいなものだ。 経営者ならばみんな知ってるこれ、僕はまったく知らなかった。
「そうだ、目標を立てよう」 会社を自分でやるなら目標が必要だと思った。 正直なところ欲しいものなどなく贅沢をしようという気持ちもいかほどにもなかった。