学生に問われ、少し頭に残っているコト

自分は、ふとした瞬間の言葉が頭の中にずっと残るタチで、
幾度もその言葉に引きずられながら生きている毎日なのだが


先日、ふとした機会にW大の大学生という子と話すことがあった。
彼はボランティアであるイベントに参加していて、その場に自分も取材で入っていたという状況だった。

どうにも感覚やら何やら、全て自分には持ち得ない別の生き物のような彼だったが、一言だけずっと言われて引っかかっている言葉が。


「脚本、今でも書かれているんですか?ブログとかですか?」


ことの流れは、今自分が身を置いているテレビドキュメンタリーの仕事から
本当にやりたいことは?という話をしていた時。


「ゆくゆくは劇映画みたいなものができればいいんだけどね〜」
そんな話をしていて、彼は少しキラキラした目で
「じゃあ脚本とか書かれているんですか?ブログとかで上げている感じですか?」
と聞いてきた。

「まぁ書いているは書いているケド、そんな上げることは全然…」
咄嗟に事実は答えられたものの、おそらくその大学生からは、ただの”大人”になり得ているだけのつまらない人間に見えてしまったろうな。
と、それまた咄嗟に思った。

高学歴だからかどうかは知らないが、彼は色々と話をしてみると、
少し尖っていて、自分で未来を切り開く反面、
これは世代なのか、地に足をつけて生きていくということを
かなり意識しながらモノを考えているんだろうなと思った。


しかし、どの世代、どの人間にも、
キラキラとした目を持つ瞬間というのはあって
「決して賤しくない羨望の眼差し」というか、熱く、屈託のない澄んだ目。

他愛もない一言から、
そんなものが自分にあるのかな、と自問するように。


脚本を外に公開していないのもそうだけど、
仕事も、何も楽しくない状態が多いとどうにも表現する立場としてはいかがなものかとも。


今、刺激が少なすぎる現場にいて、
(他人のせいにすることは簡単なんだが)
では自らが楽しもうともがくこの労働とはなんなのか。
果たしてどれだけ意味があるのか、とも少し考える。


さてはて、プライベートも仕事も、
悩みは尽きないが、今日も時間を消費する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?