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電池製造の哲学

生来からの悪癖を発揮して、予定したリチウムイオン電池の正極材料史を書くのを一旦変更。

閑話休題で取り上げたシモンドンの「個体化の哲学」から「電池製造の哲学」と名付けたテーマで暫く書いていこうと思います。

まずなぜ電池製造を取り上げたのかの理由について。

電池機構はヨーロッパ発祥でボルタやルクランシェなどの名前を聞いたことがあるかもしれませんが、最近では東アジアが電池製造の中心となっており、欧州はいわば電池製造不毛の地となっています。これはなぜなのか。

ユク・ホイの技術哲学である宇宙技芸からそれを紐解いてみたいと思います。

ユク・ホイの宇宙技芸は、AIやサイバネティックスではよく取り上げられていて、別著「再帰性と偶然性」では「サイバネティックスの中にコンピューターのデジタル処理を包含することで、主観的世界を再帰的に形成する(西垣通)」ことを中国の仁(孔子)や性(孟子)の新儒家思想を下敷きにして目指しています。

再帰性はさしずめサブルーチンを思い出させますが、定数や変数のデータ型まで指定して関数という定型的な処理を繰り返すことだとすれば、そのような手続きで人間の主観や自然の偶然性が表現されて立ち上がるのか疑問です。

この辺りは追々掘り下げてみようと思いますが、今回は電池製造というケミカル・プロセスの偶然性と再帰性について記してみましょう。

よく電池製造は半導体製造に準えられることがありますが、材料がシリコンのような単一で結晶構造も明確な半導体とは異なり、材料の物理化学的な特性は理論通りに発現させることが電池の場合には難しい。

材料の組み合わせ探索ではAIを使ったマテリアルズ・インフォマティクスがありますが、こちらは欧州にエンジニアが掃いて捨てるほど居るとか。一方で電池製造の現場ではハナグスリとも称される添加元素粉末をラインに投入するタイミングを誤ると、所望の性能が出ないこともある経験的かつ錬金術的な世界です。

これが偶然性に相当し、電池製造ラインという再帰性によってなんとか近代的な蓄電デバイスに仕立て上げていると言えます。そんな製造ラインが不毛な欧州ですが、代表的なNorthvoltは中国製の製造装置を使っていたが歩留まりが40%(!)と一向に上がらないので、韓国製に切り替えるといった記事が昨年出てました(韓国のメディア記事なので信憑性は疑問)。

とりあえず言いたかったことは、理論や知識も申し分ないはずの欧州プレイヤーが、まともにリチウムイオン電池を製造出来ないということだったのですが、その理由として製造現場で起こるケミカルな偶然性の人による制御(融通)が出来ないことにあるのではないかという仮説を提示して次回以降展開していければと思います。

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