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まちづくりとスラップ訴訟

はじめに

スラップ訴訟という単語を聞いたことがあるだろうか。スラップ(Slapp)とは、strategic lawsuit against public participation の略であり、デジタル大辞泉によると「個人・市民団体・ジャーナリストによる批判や反対運動を封じ込めるために、企業・政府・自治体が起こす訴訟」を指している。別名として、恫喝訴訟、威圧的訴訟、嫌がらせ訴訟といった単語もあげられている。

まちづくりにおいて、住民参加の重要性は言うまでもないが、かかる住民参加に対して、事業者や自治体が住民を威嚇し、その手段として訴訟が活用されたとき、住民の表現の自由を侵害し、将来的な住民参加を萎縮させるという弊害が生じてしまう。

スラップ訴訟は、海外では規制されている国もあるが、日本においては明確には規制されておらず、定義も定まっていない。一方で、損害賠償事件(最三小判昭和63年1月26日)において、訴えの提起が不法行為に当たる場合として、以下の基準が挙げられており、スラップ訴訟に当たるか否かの判断基準として、一つ参考となる。

訴えの提起は、提訴者が当該訴訟において主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものである上、同人がそのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たのにあえて提起したなど、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に限り、相手方に対する違法な行為となる。

損害賠償事件(最三小判昭和63年1月26日)

本Noteでは、事業者が住民の意見表明に対して訴訟を提起した事件に関する裁判例を紹介する

住民運動に対する訴訟

取り上げる裁判例は、損害賠償等請求事件・損害賠償反訴請求事件(長野地裁伊奈支部判平成27年10月28日)である。本訴請求は、原告(事業者)が、被告(住民)に対し,太陽光発電設備設置に関する住民説明会における被告の発言が原告の名誉及び信用を毀損する違法なものであり、かつ、被告がこれらの発言や反対運動により原告に太陽光発電設備の設置を断念させたと主張して、不法行為に基づき、損害賠償金等の支払を求めもので、反訴請求は、被告が、本訴請求の訴え提起が違法であると主張して、不法行為に基づき、慰謝料等の支払を求める事案である。

結論として、反訴請求については訴えが不法行為になる上記判例の基準を前提に、以下のような理由を示して違法であると述べている。

住民説明会における被告の発言については、・・・違法というべき点はないところ、住民説明会において、住民が科学的根拠なくその危惧する影響や危険性についての意見を述べ又はこれに基づく質問をすることは一般的なことであり、通常はこのことを問題視することはないといえる。
・・・また、住民がする反対運動についてもその内容や態様によっては違法と評価されることもあると考えられるものの、本件における反対運動は・・・平穏なものであり、原告代表者が住民説明会は継続しないことを表明して着手した工事について妨害行為等もされていないのであって、このような住民の反対運動に不当性を見出すことはないのが一般であるといえる。
このように、通常、本件の被告の言動に不当性を見出すことは考えがたく、原告においてこれを違法と捉えて損害賠償請求の対象になると考えたとはにわかには信じがたいところであるし、少なくとも、通常人であれば、被告の言動を違法ということができないことを容易に知り得たといえる。
これに加え、・・・太陽光発電設備の設置の取り止めは、住民との合意を目指す中で原告が自ら見直した部分であった・・・にもかかわらず、これを被告の行為により被った損害として計上することは不合理であり、これを基にして一個人に対して多額の請求をしていることに鑑みると,原告において、真に被害回復を図る目的をもって訴えを提起したものとも考えがたいところである。

損害賠償等請求事件・損害賠償反訴請求事件(長野地裁伊奈支部判平成27年10月28日)

以下の事情を考慮した上で、事業者が訴訟を提起したのは、事業者の被害回復を図る目的ではないということが認定され、不法行為となると判断しているのである。

  • 住民説明会における住民の発言は、違法ではない。なお、例え科学的根拠なく危惧する影響や危険性についての意見を述べたとしても、通常は問題とならない。

  • 住民の反対運動は、平穏な態様だった。

  • 事業者の損害は、住民との合意を目指すために事業者が自ら計画を見直したことによって生じたものだった。

注意が必要なのは、住民運動だからといって、全ての発言が許されるわけではないという点である。上記判決においても、住民側の言動が違法性を帯びないことの理由が明確に示されており、場合によっては違法性が帯びる可能性があることも示唆している。

また、事業者から住民に対する訴訟が全て許されないというわけでも、もちろんない。訴訟提起自体が不法行為としてみなされる基準は厳しく、判決では丁寧なあてはめがなされて認定されている。

裁判例の意義

かかる裁判例は、事業者から住民に対する威嚇を目的にした訴訟を一定程度予防する役目を持っていると言える。今回の事例のように、著しく相当性を欠く場合には違法性が認められる。しかし、認められた損害賠償額は50万に過ぎず、事業者にとっては全く痛手とならない額である。一方で、住民にとっては、訴訟に関する準備費用や精神的苦痛等、訴訟そのものによる不利益は大きいと考えらえる。

まちづくりや環境における住民参加の重要性が唱えられて久しいが、かかる訴訟のリスクは住民運動を萎縮させる要因となりかねない。何らかの方法でこうした訴訟を抑止する方法が確立することが求めらると思われるが、今のところそのような法令の検討は進んでないようである。

参考文献

神山智美. (2017). 住民等の反対運動に対する事業者による訴訟対応. 富山大学紀要. 富大経済論集 , 62(3).

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