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まちづくりと裁判例:景観とメガソーラー

はじめに

全国各地でメガソーラー(大規模太陽光発電所)に関する紛争が生じている。土砂災害等の危険が大きくなるという批判もあるし、まちづくりの文脈では景観が破壊されるということが問題となる。

そして、こうした問題が生じたことで、メガソーラの設置を規制する条例が設置される自治体も出てきた。地方自治研究機構によると、令和4年6月15日時点において全国で196条例が成立している。

こうした条例の先駆けとなったのが、平成26年に制定された由布院温泉で有名な由布市での条例である。かかる条例には「由布市における美しい自然環境、魅力ある景観及び良好な生活環境の保全及び形成と急速に普及が進む再生可能エネルギー発電設備設置事業との調和を図る」(1条)ことが目的として掲げられており、一定規模以上の又は市長が定めた一定の区域における再生可能エネルギー発電設備設置事業について、あらかじめ届出をした上で、市長と協議しなければいけないという規定が定められている(そのほかにも自治会への説明等が義務付けられている)。

なお、こうした条例が規定されたことで、一定の紛争は予防できると考えられるが、まだ幾つかの紛争の種がある。それは条例自体が、事業者の営業の自由を侵害し、憲法に違反するのではないかという点である。実際にかかる主張がなされ訴訟が提起されているとのことだが、まだ裁判は確定していないため、こちらについてはまた後日検討していきたいと思う。

本Noteでは、こうした条例の意義、具体的にはこうした条例がなかった場合にどうなるのかということについて、裁判例をベースに検討していく。

規制条例がない場合

規制条例がない場合、かかるメガソーラーの設置を止めることは可能なのだろうか。結論から言えば、かなり難しそうである。
(なお、個々の規制条例の実効性があるのかという点は、別問題である。いずれ分析したいと考えているが、実効性がない条例は数多く存在すると思われる。)

由布市はメガソーラーの規制条例制定の先駆け的存在であるが、この背景には既にメガソーラー設置の動きがあったという事情があった。環境権等に基づく差止請求事件(大分地判平成 28 年 11 月 11 日)は、条例規制対象外(経過措置)のメガソーラー設置に対して、住民が原告となった訴訟である。

事件の概要は、由布市湯布院町に居住/旅館等の経営をする原告らが、メガソーラーの設置によって、原告らの有する景観を含む自然環境を享受する権利(環境権)、景観に対する景観利益、並びに営業権が侵害されると主張して、メガソーラー設備の設置等の差止めを求めたというものである。

訴訟ではいくつかの争点が設定されているが、ここで取り上げたいのは、環境権及び景観利益についてである。判決では、こうした環境権及び景観利益について、以下のように示されている(なお、環境権及び景観利益に関する一般論については、他のNoteにて取り上げる予定である)。

そもそも環境権及び自然環境に対する景観利益については、そのような権利又は利益が認められていると解すべき実定法上の明確な根拠はなく、また、少なくとも、その権利又は利益の内容及びそれが認められるための要件も明らかではない。これに加えて自然環境の性質に鑑みると,個人がこれを排他的・独占的に保有し支配するということは観念できない。そうだとすると、現時点において、原告らは、本件開発行為の差止めを求めることの根拠となり得る権利又は利益を有しているとはいえない。

環境権等に基づく差止請求事件(大分地判平成 28 年 11 月 11 日)

環境権や自然環境に対する景観利益の弱点は、それが何なのか不明確であると言う点である。望ましい環境は人によって異なり、メガソーラーの設置が例え自然環境に対する景観を阻害するとしても、メガソーラーがもたらす経済的メリットもあることを踏まえると、賛成する立場の人も多くいる。上記判決においても、自然環境に対する景観利益が存在することやメガソーラーの設置によって一定程度かかる利益が阻害されることは認められているが、そのことを踏まえても差止請求の根拠にはならないと述べられている。

また、国立市大学通りマンション事件判決(最1小判平成18年3月30日)は都市景観について述べた判例であり、かかる判例の射程は自然環境に対する景観利益には直接は及ばない。かかる判決はまちづくりという地域住民の継続的な取組みによる結果としての都市景観について判示していると解釈できる。

なお、都市景観と自然環境に対する景観利益の違いを考えるにあたっては、「景観」という言葉の理解で考えるとわかりやすい。「景」は物理的な空間を示すものに対して、「観」はその空間に対する個々人の見方を示している。すなわち、「景観」とは静的な空間のみを指し示すものではなく、それを観る人の感性も反映した動的なものである。そこで、「景観」を考えるにおいては、何を良いものとするのかという、観る側の感性も重要になるのであり、そこには観る側の人々、まちづくりの文脈で言えば市民の合意形成が重要となる。そして、都市景観に関しては、その性質上、人々の取組みによって形成されるという意味合いが内包されているのであり、そこに上記判例は着目している。これに対して、自然環境に対する景観は、必ずしも人々の取組みによって形成されるという意味合いが内包されず、上記判例の射程が直接は及ばない。

自治体としての対応策

では、規制条例がなかった場合、諦めるしかないのだろうか。上記では判例の射程は直接は及ばないと書いたが、やはり立ち返るべきなのは国立市大学通りマンション事件判決(最1小判平成18年3月30日)である。かかる判例は都市景観についてであるが、地域住民の継続的な取組みによって産み出されるという都市景観の特殊性を前提にして、景観利益の保護と財産規制の調整は、第1次的には民主的プロセスによって行うべきであり、そうした調整を踏まえた景観利益は法的保護に値するということを示唆している。

由布院はまさに、観光まちづくりの先駆け的存在であり、観光まちづくりを現在に至るまで実践してきている。そして、景観に関する議論は、地域として長年実施されており、多くの住民にとって景観の重要性を認識していると思われる。

今回問題となっているのは、自然環境に対する景観利益であるが、由布院にとってかかる自然環境に対する景観利益も、街並み等に関する景観と同様に、長年にわたるまちづくりの結果として保全されてきたものと考えられる。訴訟においても、今回問題となっている自然環境に対する景観利益は、長年にわたる地域住民のまちづくり活動によって維持されてきたということを示すことは、一定の意義を有するのではないか。

更に、予防的手段としては、地域ルールの明確化ということが考えられる。様々なまちづくりの活動の結果として、現在の景観が出来上がっており、それが暗黙の形で地域のルールとして成立しているが、こうした地域のルールを行政法規や条例等といった形で公法的ルールに落とし込むことで、将来的に景観を守る手段となり得るだろう。
(ただし、望ましい景観が変動し得る動的な概念であることを踏まえると、条例という形で将来を固定化することが相応しいかという点は、慎重な議論が必要である。)

参考文献

  • 北村喜宣. (2020). 環境法. 弘文堂.

  • 都市計画・まちづくり判例研究会. (2010). 都市計画・まちづくり紛争事例解説 - 法律学と都市工学の双方から. ぎょうせい

  • 神山智美. (2018). 環境権等に基づくメガソーラー設置差止請求事件. 富山大学紀要. 富大経済論集 , 64(1).


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