見出し画像

にしん蕎麦

たまの休日、スーパーマーケットで叩き売りされていたのを冷凍保存していた鯛の頭で兜煮を作った。我ながらなかなかの出来栄えだったものの写真に収める間もなく家族の胃袋に消えた。

翌日、冷蔵庫で煮こごりになっていた残った煮汁で、前日スーパーで所在無げに並んでいたのを買ってあった5尾の鰯を煮てみたら、どうだ。出来上がりの姿がにしん蕎麦の上に乗る身欠き鰊(にしん)にそっくり。

さらに、鯛、鰯を煮て出た煮汁を薄めてから麺つゆを加えると、にしん蕎麦のつゆの代用品が完成。さっと、そばを茹で、青葱を刻んで乗せると「にしん蕎麦もどき」の出来上がり。

そのまま夕餉の卓へ上げると、こちらも、2人のティーンにあっという間にズズーっと啜られてしまった。もう少し味わいながら食べてもらえないものかと思いつつも悪い気はしない。

学生時代、休暇中に数少ない女友達を訪ねた京都で食べたのが恐らくはじめてのにしん蕎麦。彼女とさしでにしん蕎麦を啜ったのかどうかの記憶は曖昧だ。あの夏の京都では2人にロマンスは実らなかったが、何だか甘酸っぱい記憶の残る2泊3日の京都、淡い青春の思い出だ。

話が逸れた。ようは、その時の京都で"にしん蕎麦愛"が芽生え、以来、大好物であると言いたかったのだ。今回のにしん蕎麦もどきは、そのときに味わった本場のにしん蕎麦とは比べるまでもない。そもそも本場京都のような関西風出汁汁ではない。それでも、もどきなりになかなか良い仕事をしている。アマチュアの即興にしては自画自賛できるレベルだ。

にしん蕎麦がちょっとしたノスタルジーを呼び覚ましたある夕餉時。京都を訪れたあの頃の自分は若かった。優先順位を大いに見誤っていたかもな…あの時に思い切って彼女に…まぁ、過ぎたことなのだが懐かしさは加速する。最後の蕎麦をズズーっと啜りあげて、丼を持ち上げ、つゆを飲み干したとき、なんだか不思議な甘酸っぱさが後味として口の中に残った。

若き日の古都の思い出 にしん蕎麦
僕はあの子を好きだったのかも

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?