私の母の教育 2
前回の続きです。
今日は更にまとまりのない話になりますがご容赦ください。
前回の記事はこちら
私の母の教育 1|Takahiro@明け方の民の調べ (note.com)
母は教育者
母は私が小学生くらいのとき、得意の書道を近所の子供たちに教えるための書道教室を開き教育活動を行う傍ら、自身も書道や絵を先生に習って研鑽を積んでいました。
自ら学び、学んだことを人に伝えることを喜びとして生きていたように思います。
こういう活動は私が成人してからも続けていましたが、当時はそういう母の素晴らしいところをちゃんと見てあげられていませんでした。
今改めてごめんなさいそしてありがとうと言いたいです。
ただ、前回も書きましたように教育熱心で向上心が高いという資質は両刃の剣であります。
単に技術的なことであれば、型から入って型を覚えさせる教育は基本ですし重要なことです。
しかし、これが普段の生活や価値観にまで及んでくると前回書きました私の例のように弊害が生まれて来ることがあるように思います。
昨日の告別式のときの雑談で、私と同じような経験をしたという義妹がいたり、私の叔父(母の弟)から母自身も子供の頃に私みたいな育てられ方をしていたという話を聞いたりしました。
私だけではなかった
意外と私と同じような人が多いのかもしれません。
面白いことに、第一子だけ特別扱いされていることに弟妹達が羨ましがることがあるようです。
立場が変わると見え方も変わるのですね。
叔父さんの話によると、母の場合は4人兄弟のなかで一人だけ家庭教師が付いていたみたいです。
確かにそうやって英才教育を受けることで技能が磨かれるという良い面はありますね。
一方、型にはめられすぎると本当に自分がやりたいことが分からなくなり、心の声がかき消されてしまったりという問題が生じます。
人が死ぬときに思うこと
人が死ぬときに思うことのランキング一位は、
「もっとやりたいことをやっておけばよかった」
なのだそうです。
人は生まれた時から親から教育を受け、学校に上がれば先生から教育を受けて育ちます。
その中で他人の価値観、他人の意見に影響され過ぎて自身の魂が喜ぶことから遠ざかってしまいがちです。
人生は自分にとって本当に大切なことは何か、それを思い出し実践する旅なのだと思います。
私の場合、幼稚園くらいのときからピアノを習わせてもらっていました。
お陰で学校の音楽は常に◎や5の最高評価を獲得していましたが、当時はあんまりやる気がなくて惰性で続けていた感じがあります。
ところが、大人になってから急に音楽に目覚め、ピアノの練習で培った音感が非常に役に立っています。
そして、音楽が自分にとって魂レベルで一番やりたいことになっています。
なんか複雑ですが、いまはしっくり来ていますので良かったです。
ピアノを習わせてくれた両親に感謝です。
おしまい
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