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【中薬を故事で学ぶ】 徐長卿の故事 〜魏征の機転と『徐長卿』誕生の秘密〜

唐の貞観年間、太宗李世民が狩りをしている最中、不慮の事故で毒蛇に咬まれてしまいました。状態は非常に深刻で、宮廷の医師たちは多くの高価で貴重な薬を使いましたが、効果は見られず途方に暮れていました。

そこで、皇帝は賢者を招く公告を出し、「皇帝の病気を治せる者には多大なる報酬を与える」と宣言しました。

民間の医師である徐長卿がこの公告を見て、宮廷に入り皇帝の治療を行いました。彼は自分で採取した「蛇痢草」を三両煎じ、一日に二回李世民に服用させ、残った薬液は傷口の洗浄用として使いました。

すると、次の日には病状が良くなり始め、さらに3日間服用すると症状は完全に消え去りました。李世民は喜び、「医師の名に恥じない素晴らしい治療であった。ところで、何の薬を使ったのだ?」と尋ねました。

しかし、徐長卿は焦って跪き、どう説明しようかと言葉に詰まりました。実は李世民が蛇に咬まれた後、国は「すべての『蛇』という字を忌避するように」という命令を出しており、「蛇」という字や言葉を使った者は罰せられることになっていたのです。

この窮地を、丞相の魏征が機転を利かせて救いました。魏征は「徐先生、この薬草にはまだ名前がないのでは?」と提案し、徐長卿はすぐに気づいて「その通りです。この薬草にはまだ名前がありません。ぜひ、皇帝が名付けてください」と答えました。

李世民は即座に、「そなたがこの薬草で私の病気を治した。名前がないなら『徐長卿(じょちょうきょう)』と名付けよう。後の人々が忘れないように。」と言いました。皇帝の言葉は絶対です。こうして「徐長卿」という中薬の名が広まり、今日に至るまで使われ続けています。

おしまい


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