見出し画像

【中薬を故事で学ぶ】 太子参の故事 〜李時珍と太子参〜

伝説によると、明代の大医学者である李時珍(りじちん)が《本草綱目》を出版するために南京を訪れ、ある宿屋に宿泊しました。夜、隣部屋から女性のうめき声が聞こえたので、李時珍は店の店主に「隣の部屋の人はどうしたのか?」と尋ねました。

店主は「妻が病気で、もう何日も経つんです。」と答えました。「なぜ医者に診てもらわないのか?」と李時珍は不思議に思いました。店主は「先生、私たちはここで店を開いていますが、稼ぎは家族7人の生活費に足りません…」と言いました。

李時珍は同情し、店主に連れられて奥の部屋に入りました。彼は店主の妻の脈を取りながら「最近の彼女の食事はどうですか?」と尋ねました。店主は「もう何日も米がなく、彼女は干したサツマイモしか食べていません。私たちは子供が掘ってきた野草の根で飢えをしのいでいます。」と答えました。

李時珍はかごの野草の根を拾い上げて詳しく見た後、一株を口に入れました。そして店主に「これは薬で、あなたの妻の病気を治すことができます。どこでこれを採ったのですか?」と尋ねました。店主は「街の外、紫金山でです!」と答えました。

李時珍は机の上に銀塊を置いて「明日米を買って食べさせてください。その前に、この薬を先に煎じて妻に飲ませてください。飲めば良くなるでしょう」と言いました。店主は感謝の意を表して、李時珍に何度もお辞儀をしました。

店主の妻は数日間薬を飲んで、本当に病気が良くなりました。店主は李時珍を紫金山の朱元璋(しゅげんしょう)の太子の墓地に連れて行きました。そこには緑の草がじゅうたんのように広がり、この薬草が至る所にありました。

李時珍は「素晴らしい!素晴らしい!」と繰り返し言いました。彼は宝を得たように感じました。この薬草が朱元璋の太子の墓地の周囲に生えていたため、李時珍はそれを「太子参」と名付けました。

※朱元璋は明の初代皇帝

おしまい


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このブログでは東洋医学の中の「中医学」を学べる記事を書いていきます。

今後もがんばっていきますのでスキ・コメント・フォローなど頂けますと嬉しいです。

今後とも中医学の有益な情報発信していきますので、応援よろしくお願いします😀

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?