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「自分の行動軸となる情報源」も「信頼する友人」も、それほどたくさんいらないよ、という話。

情報過多のこの時代、「どのように情報を入手するか」よりも、「どのように情報をシャットアウトするか」の方が重要になってきていると感じる。

「芸能人の不倫」「攻撃的な内容のツイート」、あるいは「羨望の対象になる、友人のインスタ投稿」など、「いま、ここにいる自分」を蔑ろにしてしまうようなものを意識的に排除する「デジタル・ミニマリズム」も、随分と有名になってきた。

こうしたデジタル・ミニマリズムの流れを、私は「より少なく、そしてより深く」という方向性がその背景にあるのだと理解している。
たとえば、「自分にとって、”本当に必要だ”と思える友人を厳選する」といったような、「人間関係のミニマリズム」が情報にまで拡大解釈された結果、デジタル・ミニマリズムが生まれたといえよう。

この「情報」には、誰かを貶めるような主張やゴシップ、はたまた根も葉もない嘘などばかりではなく、「モノを買う前に下調べとして得る情報」も含まれているのではないか?

つまり、新しいガジェットや衣類を買うとき、参考にするレビューや情報発信者の数を減らすことも「ミニマリズム」の一環ではなかろうか、ということだ。

かくいう私もレビューを大いに参考にするし、買ってから後悔するのは後の祭りだと考えているため、何かを買うのには非常に慎重になる性格だ。

だからこそ、私は「信頼できる・共感できる発信者を絞る」ことが大切だと考えている。
「この人の考えと私の考え方は似ているから、おすすめされた商品が自分に合う可能性が高い」などという自分の中の軸をもてば、レビューに惑わされることなく自信をもって商品を購入できる。

自分の決断に迷いがなければ、「やっぱりあちらの方が良かったかも」と不満を抱くことが減り、結果として幸福度・モノへの愛着度が増すだろう。

なんだかまとまりのない文章になってしまったが、信頼できる情報源をもつことは、自分の決断に太鼓判を押してくれるものをもつことと同義である、というふうに結論づけられようか。

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