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【小説】六感計

 ツイている人というのがいる。

 ねじくれた恋愛感情をもって異性について回るストーカーや、死に際の強い妄念が彼をそこに縛りつけている地縛霊のことではない。そういう人たちも確かにツイているといえるかもしれないが、ぼくのいうツイているとは、運がよくて冴えていて、がっぽりと稼いでいる人を指していう。競馬で勝っている人のことだ。

 最近のぼくは競馬にハマっている。きっかけは馬を美少女キャラクターに擬人化した某ソーシャルゲームだったのだが、スマホのなかのレースに飽き足らなくなったぼくはじっさいに競馬場へ通うようになった。

 競馬はやばい。レースがやばいのではなく、レースの結果に金を賭けられるしくみがやばい。予想どおりの馬がレースで勝利し、的中させた馬券の払い戻しとして数千円から数万円の現金を受け取るときの快感と達成感には名状しがたいものがある。

「でも、なかなか勝てるものじゃない。トータルでみると収支はマイナスだ」
「そりゃそうでしょ。ギャンブルは必ず胴元が勝つようなしくみになってる。競馬でもそれは同じだよ」

 天才科学者の友人・西家からは、ギャンブルなんて、合理的でも建設的でもないとばっさりと切って捨てられた。

「すぐにやめなよ」
「いや、勝つ方法はある。今日はそれを君に相談しにきたんだ」
「おれは予想屋じゃない。科学者ないしは発明家だぜ」
「馬券の予想は自分でやるさ。そうじゃなくて、相談したいのはツキのことだよ」

 ツイている人というのがいる。

 馬券を買いはじめて分かった。競馬場でよく見ていると、いつも勝っている人がいる。ぼくと同じように買っているのに、馬券収支をプラスにしている人がいる。胴元が勝つしくみとはいいながら、トータルで買っている人はじっさいにいる。

 ツキは目に見えないし、手で触ることもできない不確かなものだ。ギャンブルに勝っている人――ツキのいい人は、その気まぐれなツキを味方につけ、勝つ馬を当てていると思われる。ギャンブルに強い人というのは、自分がいまツイているかどうか自覚できる人をいうんだ。ツイていないときは買わないで、ツイているときにだけ買うのである。こうすれば、馬券の勝率はあがる。

「よく分析したね」
「勝つためには、いま自分のツキがどのくらいか分かればいいんだよ。これが測定できる装置があればいいんだ。競馬に勝てる。これって科学じゃないかい」
「ははあ。そこでおれにツキを測る装置を作れってわけか……そりゃ、科学かもしれないね」

 話の早い友人で助かる。馬券で儲けた金の半分で作ってやるよという西家の取り分をなんとか三割に抑え、作ってもらった装置が――「六感計」だった。

 六感計は、被験者の第六感を測定する装置である。被験者のこめかみか手首にセンサーを近づけて測定ボタンを押すと「ピッ」と電子音が鳴って、液晶画面に測定結果が表示される。

「非接触タイプの体温計みたい」
「うちにあったのをね。改造した」
「そうなんだ……」

 天才の技術と発想はよく分からない。こう使うんだと西家は自分のこめかみに六感計を当てて測ってみせる。

 ピッ。「50」。

 簡単だ。ぼくも自分のつきを測ってみた。

 ピッ。「30」。

「おれのツキの方が高いみたいだね」

 ツキを高いとか低いとか。不思議だが、元体温計で測るとそう呼びたくなるのは分かる。

「ほんとにこれツキの数値なの?」
「それを確かめるのは、君の役目さ。数値を確かめながら馬券を買ってみろよ」

 西家のいうとおりだと考えたぼくが競馬場へ出かけ、六感計でつきを測りながら馬券を買ってみるとさっそく効果がでた。普段は20〜30のつきが100を超えると、途端に勝率が上がるのだ。これはいい! 

「これは本物だよ!」
「当然さ」

 夜、研究室へ馬券の戦勝報告にいくと、西家は自分の分前をほくほく顔で受け取りながら、まんざらでもなさそうだった。

「でも、六感計の使いすぎには注意しろよ」
「わかってる」

とはいってみたものの、その時のぼくは、なににどう注意すればいいのか、ほんとうは分かっていなかった。

 次の日からしばらくは、六感計の効力で堅実に稼いだぼくだったが、そのうちに物足りなくなってきた。ツキが弱いのである。普段のぼくはツキが低く、せいぜい30か40。馬券で勝負になる100を超えることはあまりない。100を超えるのを待っているとなかなか馬券が買えないし、それだって外れることもある。百発百中というわけではないのだ。競馬にのめり込むに従って、低いツキでも馬券を買うようになっていったぼくは、次第に負けが込みはじめた。

 どうする?

 考えた末に、ほくはいいことを思いついた。なにも六感計で測るのは、ぼくのツキに限らなくていいじゃないか。ぼく以外の人を測定し、馬券を買っている大勢の客の中から、抜群にツイている人を探し出して、勝ちそうな馬を教えてもらえばいいんだ。自分のツキが上がるのを待つことはないから効率的だし、なかには200とか300とか、すごいツキを持っている人がいるかもしれない!

 実行に移してみると、この考えは正解だった。

 パドックや券売機の前で、馬券師と思われる人のツキをこっそりと測定し、150とか200とか高いツキを持った人からさりげなく勝ちそうな馬を聞き出すのだ。すると、馬券の勝率は目に見えて上がった。的中率は80%を超えた。六感計の威力は凄まじい。

 もう自分でレースの着順を予想する必要はなかった。六感計でツキの高い人を探し出し、勝ちそうな馬を聞きだすだけでいいのだから! ぼくは馬券売り場にいる人たちへ片っ端から六感計を向けていった。

 その日のメインレースは、G1レース大阪杯だった。午後に入り、レースが近づくにつれて、続々とお客が競馬場に詰めかけてきた。レースの10分前、ついにぼくはこの日一番のツキをもった男を見つけた。「666」。見たこともないツキの高さだった。競馬新聞を片手に舐めるようにパドックを周回する馬たちを見ている。間違いない。プロの馬券師だ――とぼくは直感した。

「今日のメインは何が来そうですか」

 話しかけると、男はじろりと目玉だけを動かしてこちらを見た。ぼくのことを値踏みするように見ている。

「テイ◯ムルドルフですかね?」

 ろくに知りもしない適当な馬を一頭上げ、鎌をかけてみる。男の口元がふっと緩んだ。

「いや、オ◯リがいいな……オ◯リインパクトだ」

 すばやく競馬新聞とパドックの電光表示に目を走らせる。白い芦毛、ゼッケン10番の馬だ。オッズは単勝10.2倍。この馬だ! なにしろ666のツキをもった男がいうのだから間違いない。

 ぼくはすぐに馬券売り場へ走ってゆき、これまでに稼いだ金をオ◯リインパクトの単勝につぎ込んだ。馬券をもってスタンドに出ると、そんなぼくを待っていたかのようにファンファーレが鳴り響き、レースがはじまった。

 15頭の馬たちがそろったスタートを切った。飛び抜けて逃げる馬もおらず、全2000mのレースは淡々と進んだ。白い馬――オ◯リインパクトは馬群の中程を進んでいく。

 向正面を過ぎて右手に進む馬たちは、第三コーナーを過ぎた。じわじわっと白い馬がその位置を上げてゆく。ゴールに向けて加速をはじめたのだ。

 それが合図だったかのように、ほかの馬たちも身体を沈めて加速態勢に入る。芝を蹴立てる馬蹄のとどろきがスタンドにまで響いてくる。ひと塊となった馬たちが、第四コーナーを回って直線に向いた。

 ――きたあ!

 先頭は白い馬、オ◯リインパクトだった。後ろに14頭の馬を従え、一番に坂を駆け上ってくる。ゴールまでは残り200m!

「そのままあっ!!」

 大歓声に包まれるスタンド。「オ◯リ! オ◯リ!」喉も裂けよと叫ぶ、自分の声すら聞き取れない。しかし――坂の途中で先頭を走っていたオ◯リインパクトの脚色が怪しくなった。ぼくの必死の応援も虚しく、白い芦毛の快速馬は後続の馬群に呑みこまれてゆく。

「ああ、そんな……」

 オ◯リは、666の馬だぞ! 

 立ち尽くすぼくの目の前で、一番にゴール板を駆け抜けた漆黒の馬体。ゼッケン6番のテイ◯ムルドルフだった。

「そんな、ばかなあっっっ!!」

 有り金をはたいて買ったぼくの馬券が紙くずに変わった瞬間だった。電光掲示板の一番上に輝く「6」の数字。12番人気のテイ◯ムルドルフのオッズは105倍。万馬券だ!

 呆然となってスタンドを後にしたぼくは、払戻機の前でさらに目を疑うような光景に出くわした。さっき、パドックで「オ◯リが勝つ」と教えてくれたあの馬券師の男が、ほくほく顔でレースの払い戻しを受けていたのだ。まさか。男が勝つはずは……しかも、的中させたのはテイ◯ムルドルフの単勝馬券だ。

 ――わけが分からない。



 打ちのめされた気分で研究室へ報告しに戻ると、西家は「ほら見たことか」つぶやいて、ぼくが競馬で負けた理由を種明かししてくれた。

「君はその男に嘘つかれたんだよ。プロの馬券師なら、おいそれと自分の予想を他人に聞かせるわけないじゃないか。そいつは6番が勝つだろうと思いながら、君には10番が勝ちそうだって言ったのさ」

 そうだったのか! ぜんぜん気づかなかった。そのとおりだ、嘘をつかれるとツキもなにもあったもんじゃない。ぼくは自分のうかつさに頭を抱えた。

「だから、六感計に頼るな。使いすぎるなと言ったんだ。六感計がいくら優れているといったって人の嘘を見破ることはできないからね。それに――」

 西家は六感計をぼくに向けて構えると、ピッ――ボタンを押した。

「今日の君は、相当ツイてないみたいだぜ?」

 装置の液晶画面には、ぼくのツキが「0」と表示されていた。

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