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【走るの苦手な25歳が、初マラソンをする理由】


「自分には、一生無理な気がする……」

小さな頃、マラソンには拒否反応を感じていました。わざわざ、息を切らせる様なキツイ思いをして、不毛にも20キロの長距離を走る。別に、人が出る分には応援するけど、走るのが大の苦手な自分が出るだなんて全く想像できませんでした。しかし、思う節があり、3月1日に開催される「三浦ハーフマラソン大会」に参加することを決めました。

そもそも、小学生の頃から走るのが苦手でした。
身体を動かすのは割と好きだったけれども、足の速いサッカー部や野球部のクラスメートにコンプレックスを感じていたのもあって、走るのは好きじゃありませんでした。身体もヒョロヒョロのため体力もあまりなく、常々出来ることならば「走りたくない」そう思っていました。

特に、持久走は地獄でした。
ただでさえ走るの苦手なのに、半強制的に、長距離を走らねばならない。ゼエゼエ息は切れてしんどいし、頑張ったからといって1円の得にもならない。だのに「体力作りだから、走れ!!!」という高尚な教えを押し付けてくる先生たち……。嫌で仕方がなかったです。「雨が降ればいいのに」と 逆テルテル坊主を作っていました。(ちなみに、雨天でも延期されてしまうので、先生が忘れてしまうまで「雨よ降り続けろ」と念じていました。)

大人になってからも、大枠この考えは変わりませんでした。無理して走らずに済むのなら、それに越したことはないのです。歩いていても日常の生活に大きな不便はありません。たまに、遅刻しかけて全力で走った時に「ああ、歩いていても間に合うぐらいの余裕を持って生活したいものだ」そう、つくづく思っていたぐらいです。ましてや、マラソン。一度スタートラインを切ってしえば、ああ大地獄。あの大嫌いだった持久走の何倍もの距離を走らねばならぬのです。一生、自分には縁がないものと思っていました。

けれども、今年はわざわざ、全身全霊シンドイ思いをして、21.0975キロメートルを走ります。狂気でしょうか……?ええ、狂気です。

昨年、事業やプライベートで苦しいことがあり、たくさん立ち止まってしまいました。何度も挫折しそうになりながら、沢山の人に支えられ、引っ張って頂きました。大変有り難い反面「ずっと、このままじゃいけないな……」そんな焦りがあったのです。

ただ、年末にかけ事業やプライベートも、徐々に落ち着いてきたタイミングで、なんとかメンタルの調子も整ってきました。そんな折、ふと思ったのです。「沢山引っ張ってもらった分、今度は逆に引っ張って行きたい。」また、どん底まで落ちてしまっていたので、その分限界まで頑張りたい!という気持ちもありました。

その象徴として、初のハーフマラソン挑戦を決めました。「よーーーーーし、やるぞっ!!!」長い間燻っていた種火が、心の中でメラメラ燃え始めた感覚を覚えました。まるで、新鮮で気持ちのいい朝の様!!それに、自発的な理由があるなら、もしかしたら、苦手な走ることだって面白いかもしれない!!!!!


とはいえ、現実は厳しいものです。
淡い期待は秒で崩れました。元旦に一度軽く走ってみたものの、正月太りもあり、たった3分でゼエゼエ息が切れてしまったのです。体力不足に愕然……。これでは、到底(おそらく)3時間近く走るマラソンに、太刀打ちできるはずがありません。

そこで、身体を改造するための計画を立てたのです。大会までの3ヶ月、毎朝10分(2km)走ることで持久力をつける。距離は、徐々に伸ばすことに……。まあ、何とかなるでしょう。

初めの3日間は、ひたすらキツかったです。しんどくて、途中で足を止めてしまいました。多分、3分おきぐらいに立ち止まっていました。既にサボりたくなる衝動を抑えつつ、なんとか食らい付きます。明確な目的があっても、キツいものはキツいのです。

けれども、1週間を過ぎた辺りから
分かりやすく身体の変化が出てきました。

10分ぐらいなら走っても息が切れないようになってきたのです!10日目にもなると、朝から足がウズウズしてて「あれ?太もも氏、走りたがってる?」と、これまでなら考えられないような衝動にも駆られました……!!!ビックリです。

この調子なら「自分には無理……」と感じていた、マラソンもなんとか乗り越えられる気がします。今度は、逆テルテル坊主ではなく、本物のテルテル坊主を作ろうと思っています。

2020年1月10日  荒木孝文


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