「モテたくてバンド始めました。」
2017 年9月にハイパーカッコいい踊れるジャズバンドとそのドラマーさんに出会ってしまった私(※前回記事「推しのいる人生」を参照)は、それから半年後の2018年3月、36歳にしてドラムを習い始めました。
幼い頃にピアノを習っていたり小学校の音楽クラブでアコーディオン弾いたりという程度の楽器経験はあったし、音楽はずっと聞いていて特にドラムが好きだったけど、「ドラムを演奏する」となると全くの未経験。
バスドラを足元のペダルで操作してることすら知らず、重低音が響くシンバルの叩き方があるんだと思っていたレベル。
唯一あるとすれば、大学生の頃にゲーセンのドラムマニアに挑んだところ数秒で終わってしまったことくらい。
そこでますます、私にはリズム感がないんだなーと思い、ドラムを演奏したいという思いは薄れていました。
(※「ドラムマニアはドラムとは別物。プロのドラマーさんでもドラムマニアは下手な人もいる」ということを最近になって知りました。なんだ…)
そんな私が勢い余ってドラムを始めてみたら……
め ち ゃ く ち ゃ 楽 し い 。
よく聞いてる曲の「あの音だ!」という感動。
それまで何気なく聞いていた音楽が、より具体的に明確に聞こえ始める面白さ。
難しいと思ったフレーズを自分で叩けた時の嬉しさ。
自分で叩いてみるまで想像できなかった、新しい感覚を知りました。
ドラムは接する機会も少ないし難しく思われがちですが、シンプルなエイトビートくらいなら比較的すぐに出来るようになります。
割と早い段階で「それっぽい」感じを味わえる、実はとても始めやすい楽器だと、今になってみると思います。
もちろん、見た印象よりも意外に難しいという面もありますが。
(もしやってみたくて迷ってる方いたら軽い気持ちでぜひ!
どの教室でもたいてい初回無料レッスンやってるから、試しにあちこち行ってみるだけでも楽しいよ!
その後は通わなくても1000円くらいのスティックだけ買っておけば、一人ならレンタルスタジオで1時間600〜800円くらいでドラムセット一式と防音室を貸してもらえます!余談でした!)
始めて更に半年後、楽しいけど〆切がないと練習もなあなあになっちゃうしなー、という程度の気持ちで、通っているスクールの発表会に出ることにしました。
もちろん明確な目標とリミットがあることで練習のやりがいが増し、成長のスピードも格段に上がりましたが、それ以外に自分でも予想してなかった心境の変化が起きました。
「モテたくてバンド始めました。」
プロアマ問わず、バンドやってる人がよく言う、あの、あれ。
これの意味がちょっと分かった気がしたんですよね。
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私は学生時代から20代まで、ずっと趣味で小説や漫画を書いていました。
小2の頃、小学校からの下校中(徒歩5分)に天啓のように物語が頭の中におりてきて、適当な白い紙に鉛筆で書いたのが始まり。
(小学生のくせにというべきか、小学生だからこそというべきか、ものすごい説教がましい寓話めいた話でした…7歳の私どうした…)
そして小5のときに若木未生さんという、今で言うところのラノベ作家さんに出会い、著作を古本屋で買い込んでまさに貪るように読み、自分も小説を書きたいという思いを強めました。
少しでも近づきたくて、当時彼女が在学中だった早稲田大学に入ろうと小5で決めました(落ちました)。
その後、投稿したり同人誌を出したり、大学では漫研に入ったりと、形を変えつつも創作活動をずっと続けていました。
話は変わりますが私、めちゃくちゃ運動神経が悪いんですよ。
いわゆる座学のお勉強は出来る方だったけど、体育の授業だけは苦痛で仕方なかった。
小学生の頃は最も低い3段の跳び箱も跳べなかったので、同じくらい運動神経最下層の数人と一緒に、マットを丸めたやつを跳ばされてました。(それも跳べなかった)
中学の授業でバレーボールやることになって、輪番で審判役が回ってきたのだけど、そもそもやったことないしルールも知らないので、判断間違えまくって同級生にめっちゃ怒られた。
(今思うと理不尽過ぎる、なぜルール説明がなかったのか。ただ、他の子はみんな当たり前に知ってたんだけどなんで?)
徒競走は100%ビリ。
校庭を何周か走る持久走ではクラスで私だけ周回遅れなんてのもいつものこと。
どうにか走りきると、心優しい先生の余計なお世話的な指示により、無駄に待たせまくった同級生達からのお義理の拍手で迎えられるという屈辱エンドです。いたたまれなさすぎる。やめて。
私の通っていた頃の公立小学校といえぱ、運動できる子と面白い子がヒーローになる実力社会。
他の子と同じように走れないとか、身体を思い通りに動かせないということは、その時点でスクールカーストゲレンデを直滑降で下降します。
(私立とか他の学校は違うのかな)
(てか今どきはオシャレな子とかダンス上手とかの指標も増えてそうだな…生き伸びられる気がしない…)
そんな私にとっての創作の魅力のひとつは、
「自分の身体とは切り離して自己表現できる」というところでした。
※身体は、しんたい、とここでは読みたい。
逆上がりが出来なくても、何もない平坦な道で転んでも、地図を見ながら反対に進むほどの方向音痴でも、私という人がどんな人間であるかは関係なく、創作物だけはいくらでも理想を追求できる。
運動神経が悪くトロくてあがり症でも、時間をかけて考えてパソコンのキーを打てば、どもったりつまずいたりせずに文字を綴れる。パソコンなら字のキレイさも必要ない。
なので私からすると、バンドをやるとか自分の姿を晒して大勢の前で演奏するなんて、全く別世界の話でした。
目立つのが好きな人もいるよね、と完全に他人事として捉えていました。
私の中では「バンド」とか「ライブに出る」とは、「外見に自信があってスポーツ万能で、器用で面白い話が出来て度胸のある、コミュニティの中の人気者」のものだと思っていたんですよね。
「楽器演奏や歌うのが好きで得意な人」ではなくて。
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そんな中学の頃イケてないグループに属していた芸人をこじらせまくった私が大人になってから、ひょんな巡り合わせで
「楽器を練習して演奏する」
「ステージに立つ(座ってるけど)」
ということを実践してみたら、気付いたんです。
「今までずっとやってきた創作と同じじゃね?」
一見まったく属性の異なるもののように思えるけど、どちらも
「時間をかけて準備して、誰かに向けて表現を発信する」
ということ。
「自らの身体をも使った自己表現」であるか、
「身体と完全に切り離した自己表現」であるかの違いはあるとはいえ、以前創作にのめり込んでた頃に近いものを感じたんです。
まあ私の場合この「身体」のスペック全般に自信も興味もなかったから活用しようとしなかったという部分はありますが、身体を使うといっても座ってるし(?)、一定の腕力はいるにしても単純なパワーよりはしなやかさと技術が求められているのではないかと、初心者ながらに感じています。
そして、お馴染みのあの合言葉を思い出したんです。
「モテたくてバンド始めました」
プロアマ問わず、バンドやってる人がよく言う、あの、あれ。
この「モテたくて」って、実は
「身体をまるごと使った自己表現を人から評価されたくて」
という意味ではないかと思うのですよ。
その発露の仕方や方向性や度合いは少しずつ異なるとしても、多かれ少なかれ人には承認欲求がある。
なんとなく
「モテたくてバンドやってるのは軟弱だ、音楽に対して真剣ではない」とか
「本気で音楽をやってる人はモテようなんて思わない」
と、二項対立の図で捉えられてることが多い気がするのですが、私にはそんなふうに明確で極端な線引きがあるようには思えなくて。
「モテたい」という表現を使用するかには違いがあっても、評価されたいという欲があるのはみんな同じなのではないかと思っています。
承認欲求がなかったら、作品を発表する必要自体がないはずなんですよね。
どんなにストイックに音楽に向き合っている人でも、作品やパフォーマンスを誰かに見せたい・聞かせたいと思うのは、やっぱりどこかに認められたい思いもあるはず。大勢にかどうかは別にして。
まあ人によっては本当にモテたくて、つまり不特定多数の主に異性から表層的な好感を得てあわよくば親密になりたいという人もいると思うのですが、仮にそういう意図で始めたとしても、やっぱり一定の努力をしないとそっちの「モテ」も得られないですよね。
もし演奏技術がいまいちなのにモテてる人がいるとすれば、それはパフォーマンスの見せ方やブランディングが上手なんでしょう。これも技術だし、一定の努力や工夫が必要だし、ひとつの「自己表現」なんですよね。
そう考えると、実は世の中にはいろんな自己表現があることにも改めて気づきます。
創作物を、演奏を、ファッションを、料理を、メイクを、写真を、SNSを、ブログを、評論を、運動を、DIYを、イラストを、手作りマスクを(←new!)、いろんなかたちの自己表現がある。
自分には関係ないと思っていたことでも、実は心理的構造は似ていることもあるのではないかと思い始めました。
無理に苦手なものにチャレンジする必要はないけど、興味があるなら無理と諦めずにいろいろ顔を突っ込んでみるのも面白いなと思ったのでした。
というわけで、最近はカリンバという楽器を買って更に新たな自己表現を始めました!みんな見てー!!
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ここで念のため注釈しますが、「モテる」というワードはフェミニズムや人権的見地からすると様々な呪いが込められている言葉という側面があります。
ただ、そういう周辺のいろいろを切り捨てて「モテる」の最大公約数的な意味を考えると、「人気者になる」ってことなんですよね。
というわけで、「モテ」というワードにまつわるあれこれについてあまり課題視しているものの、このブログでは「人気者になる」くらいのライトな意味で使っちゃいました。補足でした。
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