推しのいる人生

noteを書こう書こうと思いながら3か月ほどモタモタしていたら、世の中がえらい変わってしまいました。

書きたいテーマはたくさんあって、下書きに入れてイジイジしていたのですが、もはや私たちは以前とは別の世界に生きています。
私が当時書こうとしていた内容は、今見たらとんでもなく非現実的に聞こえるかもしれない。
ひと世代昔の文章のように、古臭く感じられるかもしれない。

それほどに、ほんの数か月のうちに世界の価値観、ものの見方、優先順位は急激に、まったく予想しなかった方向へ変化しました。

何事も先送りしてはいけない、同じ日は二度と来ないし同じライブは二度とない…と改めて胸に刻みつつ、在宅勤務でネットワークの混雑に白目剥きながら朝晩格闘する日々を送っています。

そうそう、そういえばつい数年前にも、私の中の優先順位が急激に入れ替わる出来事がありました。
今、世界中を苦しめている新型コロナウイルス問題とはまったく違って、良い意味で。


大袈裟でなく、本当に生活の優先順位がガラッと入れ替わりました。

行動範囲や交友関係、モチベーションの置き方も大幅に変わりました。

推しに出会ったからです。

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お・し [推し] (名詞)
(動サ五「推す」の連用形から)

① 適当な人・物を推薦すること。
② ある事から他の事を推測すること。
③ 憧れ、傾慕、崇拝の対象となる人物、キャラクターなど。誰彼構わず推奨したくなってしまうような存在のこと。
④ 念の為補足しますが、適当に書いてるので鵜呑みにしないこと。

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推しのいる人生、最高です。
毎日楽しくてしょうがない。

推しの音源を聞いて心踊らせ、SNSへの他愛もない投稿にはしゃぐ。
ライブきっかけに知り合った仲間と推し語りで盛り上がる。
うっかりドラムを習い始め、装いまで真似してカッコつけてみたり。

最近はなかなかライブに行くことができなくなりましたが、いつでも心に推しがいます。
それだけでめちゃくちゃ楽しいです。

そんな浮かれきった日々を過ごしていると、ふと「推しがいなかった頃」のことを思い出すことがありました。

「今の最推しドラマーさんに出会う前」ではなく、
私に推しという概念がなかった頃」の話です。

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1982年生まれの私が小学生の頃、といえば90年代。
折しも週刊少年ジャンプの第二期黄金期
(たぶん第二期と言っていいはず)

男女問わず大人も子供もみんなジャンプ読んでました。
(しかし私は兄と交代で週マガを毎号買っていた)
(そして、りぼんでもなかよしでもなくぴょんぴょんからのちゃおっ娘

私の周りでは幽遊白書が特に一大ブーム。
私はたいてい流行りに乗り遅れており、兄が「ユーハクのアニメやるから見たい」と言うまで存在も知りませんでした。
テレビ欄でタイトルを見て「幽」の文字に怯え、隣の部屋のふすまの陰から隠れて初回放送を見ました。小5の私、可愛すぎる。

チラ見して、ホラーや怪奇ものじゃないって分かってひと安心。
翌年にSLAM DUNKもアニメ化し、兄と一緒に夢中で見てました。

学校に行けば、友達と幽白やスラダンの話で盛り上がる。
女の子の多くは影のある二枚目のキャラクターに魅力を感じるものなのか、たいてい幽白では蔵馬か飛影、スラダンでは流川が好きという子が多かった。もちろん幽助や花道好きの子もいた。

どちらも大好きな作品だったけど、○○ちゃん誰が好き?私は☓☓!カッコイーよね!!という話になると、私は途端にその盛り上がりについていけなくなりました。

私には「推し」がいなかったんです。

漫画もアニメも小説も大好きで、色んな作品を読んで見ていたけど、「特に好きなキャラクター」というものが当時はいなかった。
だってみんなかっこ良くていい奴だし、そして話の展開が面白いから好きなのであって、特定のキャラに夢中になる感覚が分からなかったのでした。
それでも皆から「誰が好きなの?」としつこく聞かれ、特に誰もいないと答え続けていると
「なら、余ってるから(←?)桑原ねだって誰でもいいんでしょ」
という謎の消去法
で勝手にどれかのキャラを設定されることがよくありました。
別に桑原がキライだった訳ではないけど、自分の意志を軽視されるような雑な扱いを子供なりに察して必死に抵抗していました。桑原にも失礼な話。

当時はジャニーズも流行っていて、同級生の間ではSMAPからKinKi Kids、V6辺りのファンの子がたくさんいました。
私はそういうのも何が楽しいのか分からず、どちらかといえば冷めた目で見ていたタイプでした。

特にどのグループにも、どのタレントにも思い入れのない態度をとっていると、よくファンの子から下敷きとかを見せられて「この中だったら誰がいちばん好き?」という謎の踏み絵テストを仕掛けられることもありました。
まったくピンとこない状態で適当にどれかひとりを指差し、「へえ〜!たかはしさんて…へえ〜」的な答え合わせなしの意味深リアクションを頂戴するイベントがよく発生していました。あれ、誰だったんだろうな。

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誰々が好き!カッコいい!付き合いたい!結婚したい!!キャー!!!
という話についていけない私は当時、同級生の中で子供扱いというか、なんとなーくうっすら軽んじられていたように思います。

まあつまり、当時私が生きていた「小学生女子コミュニティ」において「好きなキャラクターorアイドル」がいない女子というのは超マイノリティだったということなんですね。
(男子はあんまりそういう雰囲気なかった。むしろアイドルが好きとか女優が好きと言う方が変に冷やかされてたかも。これもまた別の幼さよねー)

私にも「皆と同じように」夢中になれるキャラクターが見つからないかと、必死で探していた時期もありました。
本当に好きかどうかはある意味どうでも良くて、皆を納得させられるキャラが良かった。
「○○くんはもう私が好きだからダメ(同担拒否の子も多かった)(あと同じレベルで語れないとバレる)」とも、
「そんな人のどこがいいの?」とも言われないような、
魅力的だけどまだ誰の推しでもない人。

そんな時、マガジンで連載していたバスケ漫画「Harlem Beat」にサワムラというキャラクターが登場した時、これだ!!と思ったのをめちゃくちゃ覚えています。
影があって二枚目でバスケめちゃうまの助っ人、高校生のくせにバーでバイトしてる大人びたキャラクター。


何より、みんなジャンプ読んでるからマガジンの漫画はまだ見つかってない!!やった!!!!!!

いや本当にカッコよくてイケてるキャラだったんだけど、好きかどうかよりも「ちょうどいい」という印象が強かったんですよね。

ここぞとばかりに「好きなキャラクターが見つかったよ!!」と友人らに大々的に発表()しました。
でも友人はぜんぜん知らん漫画の話されてふーんって感じでした。

今思えば他愛もない、しょうもない話なんですけど、たぶん当時の友人たちは「私が誰かを好きか」はほんとはどうでもよくて、「マイノリティをいじる遊び」が楽しかったんだろうと思います。
マイノリティを茶化せば、マジョリティである自分たちの方が優秀で力を持っているように錯覚できるし。
「え?お酒飲めないの?人生損してるね〜!!」理論の親戚。

私自身も、その錯覚に取り込まれて「みんな(=マジョリティ)と同じにならなきゃ!」と必死でした。
当時の私にとって学校や友人とのコミュニティというのは絶対で、そこでの評価によって自分というものがまるごと定義されてしまうような気持ちになっていたんでしょう。

中学生になると、小学生の頃ほどいじられる雰囲気はなかったものの、同級生はたいてい「推し」的な存在がいたし、特に一番仲良くなった子が
「この人カッコいいでしょ?カッコいいよね??ドラマ見る???見たいよね?????」
という同担大歓迎の「仲良しの友達は自分と同じものを同じように好きでいて!」タイプだったこともあり、私は「ちょうどいい推し探し」はやめて「友人が好きなものを一緒に嗜む」ことを覚えました。長いものにすぐ巻かれる。

漫画を貸し借りして、ドラマの話をして、音楽番組を見て。
かっこいいタレントさんや面白い作品を新しく知ることが出来て、それはそれで楽しかった。
でも友人と会話してるとき、たまに私は「この作品/タレントのことを魅力的だと感じているが、それは本当に好きなのか、周りに合わせて友達が好きなものを好きなフリをしているだけなのか」が自分でもよく分からなくなる時がありました。

これ、当時の私にとっては結構コンプレックスだったんですよね。
友人たちに合わせているのも、どこか嘘をついているような、表面だけ取り繕っているような後ろめたい感覚がどこかにありました。
たぶん、友人たちの「夢中になる感情」を真には理解できていなかったということなんでしょうね。
皆がキャーキャー言えば言うほど自分は冷めていき、でもそれを表立って認める訳にはいかず、心理的な距離を感じるようなところもありました。


そんな状態が、高3の秋にある人に出会って終わりを迎えました。
私の生まれて初めての推し(当時はそんな言葉なかったけど)、それは…

V6のイノッチです

小中では冷めてたくせに、高校も終わりがけのタイミングで突然のジャニーズ沼。

きっかけは伝説の(※ファンの間では)土ドラ、サイコメトラーEIJI2です。
TOKIO松岡くんが主演のあれです。

1じゃなくて2なんです。
1にも出てたけど2なんです。
サイコメ2がきっかけでイノ推しになった子は数知れず。

ちなみに次々に不幸な目にあう不憫過ぎるヤンキーの役でした。
やっぱり影か…!影なのか…!

前述したとおり、ハマったのは高3の秋だったんですよね。
大学受験も近づく12月、予備校に行くと親に言ってトニセン関連のイベント(※本人は来ない)に行ったり、さんまんえんのディナーショーに行きたいと言って親に「バっカじゃないの」と一蹴されたりと、順調に推し活を始めました。
(こう書くと受験生感ゼロだけど一応大学には行けました

それ以降は推しのいない時期はほとんどなくて、ジャニーズ、R&Bバンド、俳優(洋・邦・韓)、ミュージカル、演劇、お笑い芸人、漫画…など色んなジャンルで推しを見つけ、沼にハマっていきました。

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そして今でも忘れない2017年9月2日。
渋谷のライブハウスで、ハイパーかっこいいジャズバンドそのドラマーさんに、遂に出会ってしまいました。

「TRI4THってよくジャズフェスとかで名前見かけるなー。バンド名もアー写もなんかカッコよさそうだなー」

という程度の軽い気持ちで、さほど予習せずに見に行ったライブだった(そういうことをわりとよくしていた)のですが。


「ホーン隊がステージ上歩き回ってる?!」
「ウッドベースの人、弾きながらヘドバンしてる!?」
「手拍子が私の予想の倍速い!!」
「ドラムの人、殺し屋みたいでコワカッコイイ…!!」
「えっあのイケメンの人、サックス吹きながらフロアに降りてきた!!」
「ドラムがMCって珍しいー!しかも喋ると意外にちょっと可愛い!?
「5人ともめちゃくちゃ楽しそう!!そしてよく分かってはいないけど演奏がめちゃくちゃ上手いような気がする!!あんなに激しく動き回ってるのに安定感が!」

と、何もかもが予想外、期待以上でした。

そして何より

「 1 曲 も 知 ら な い の に 全 曲 好 き ! ! 」

ということが衝撃でした。

全曲ですよ、全曲。
何曲か好きな曲があるだけでもきっとファンにはなってただろうに、50分ほどのライブ中に「この曲はまあ、普通かな」というのが1曲もなかった。

しかも「私はこういう雰囲気の曲が好きだな」とか「元々好きなあのアーティストに近いな」と私が好むであろうことが予想できるものではなくて、それまで全然聞いていなかったような、全くの未知の世界なのに明確に「好きだ!」と思えたんです。これもとても新鮮で。

「こんな音楽が、ライブパフォーマンスがあるんだ?!」
「知らないけど、分からないけど、めちゃくちゃ好きだ!」という。

それまでの私はジャニーズとかR&Bとかジャズバンドとか、ドームかホールかジャズクラブ、つまり「全席指定」のコンサートにばかり行っていて、ロックにはあまり触れずにきたから、スタンディングのライブハウスなんてほとんど寄り付かなかったんですよね。
ライブハウスのことはどちらかといえば「怖い」「苦手」と思ってた。

この日も恐る恐る行ったようなところはあったんですよ。
パーソナルスペース広めな方だし、自分のエリアが決まってない状態で場所も早い者勝ちということに抵抗があって、
まあ楽しみではあるけど、前の方はもし押し合いになったら怖いし離れたところでのんびり見よう、くらいの想定でした。

それが始まってみたら、ひたすら楽しい!!!!
オーディエンスの参加形態もそこまでハードではなく、モッシュとかも起きずに各自その場で音楽に合わせて体を揺らしていました。

えっ全然怖くないじゃん!
むしろ座席がない分ステージが近くて一体感がすごい
しかもサックスの人フロア降りてきて、ファンの間近で演奏してるし!!!贅沢!!!

会場が階段状になっていてどこからでもステージが見やすかったという点も、ライブハウス初心者には良かったかもしれません。
頑張って最前取りに行ってなくても、全員のパフォーマンスを存分に楽しめました。

ライブ後に新譜の先行発売とサイン会があり、まだ1人も名前を分からないような状態でいそいそ参加したのですが、これまた楽曲やバンドのイメージ(※強面オラオラな不良集団)とは打って変わって、メンバー全員がめちゃくちゃ気さく!!

あんなにも素晴らしいパフォーマンスで楽しい体験をさせてくれた超凄い人達が、普通に話してくれる…!!

ステージ上では殺し屋にしか見えなかった人が、「ありがとうございます!」って優しい笑顔で握手してくれる!!!

それはファンになってしまうわ。(ギャップに弱い)

そんなふうに推しと出会ってしまった私は、気付いた時にはTRI4THのライブ日程を基準に仕事の休みや遊びのスケジュールを設定していくようになりました。

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推しのいる人生、まじで最高です。
都内に住んでいる私が遠征に手を出し、2019年には推しの人を追いかけて3泊4日で博多⇔小豆島(香川県)を往復するほどになりました。(広島に2泊した)
まだ海外には行ってない。(まだ)

推しがいるというのはもちろんそれだけで楽しみなことが増え、日常が幸せで溢れているのですが、
それに加えて、この感情、湧き上がるパッションが間違いなく「誰かの影響でも何かに合わせた訳でもなく、自分で見つけて自発的に好きになった」という事実が、私にとっては超specialなことなのです。
今でも誰かの影響で関心を持つこともあるし、それが良くないことという訳では決してないのですが。
どっちでもいいことだけど、推しのいなかった頃の色々を思い出すと、私には自信やアイデンティティにも繋がるような大きな意味を持つポイントなんです。
そんな存在に出会えて本当に良かった。
見つけた自分にも喝采。

そして矛盾するようですが、今振り返ってみると、推しがいなかった頃が特段つまらなかったという記憶もないんです。
同級生からの妙な茶化しやイジりがなければ、躍起になって「推し」を探したりせずに普通に漫画やドラマを見ていても、友達のオススメを受け身で楽しんでいても、わりとご機嫌に生きていました。
(基本的に楽観的でアホだったからというのもありますが…)

今の私は推しがいてめちゃくちゃ幸せだし、周りに似たような「推しに出会って人生変わりました( ー`дー´)キリッ」的な沼人が多いのでそれが当たり前になってしまいがちですが、何が重要で何が幸せかなんて人それぞれです。

絶対に「推しがいる人の方が、推しのいない人よりも幸せ」なんて他人に押し付けたくはない、というのが私の推し活ポリシーです。

ちなみに私は推しがいてめちゃくちゃ幸せです。(何度でも言う

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ご存知の通り、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、今はライブやコンサート等のイベントは軒並み中止になっています。
私の推しの皆さんが出演を予定していたイベントも中止、延期の嵐です。
週2~5でライブに行き月1~2遠征していた私も、すっかりライブがなくなってしまってもちろん寂しいです。

でも「自分がライブを味わえない」ことより、何より「ライブがなくなったことで推しがつまんない思いをしている」ことの方が私にはもっとツラい。

逆に言えば、推しが元気でニコニコしてくれていれば、最悪自分がライブに行けなくても大丈夫です私は。
推しってすごい。
存在が元気の素。生きてるだけでファンサ。

多数の死者や重篤者が発生し、世界中が辛く不安に包まれている現在の状態を肯定するつもりは決してないのですが、こと私個人にとっては、「今、推しがいる」ことに救われている面が大きいです。

実は以前、当時の最推しの人がバンドから脱退し、音楽活動を辞めてしまったことがありました。
その発表から1か月も経たず、東日本大震災が起きました。

推しが芸能活動を辞めてしまうのは、姿を見れないとか、ライブで会えない、新たな作品に触れることが出来ないというのはもちろんとても辛かったけど、「非常時の安否を知る術さえない」というのは想定外でした。
社会が不安に溢れ、自分の生活も大きく変わって戸惑っている状況下にこれはかなり堪えました。
(結局無事だったし、音楽業界にも帰ってきたのですが、私がそれを知ったのはかなり後でした。とりあえず無事で良かったよ…)

そんな時期があったことを思うと、いま感染拡大防止のためにライブハウスに踊りに行けない中でも、推しの皆さんが配信をしてくれることは本当にめちゃくちゃ有難いのです。

推しミュージシャンの皆さんは、作曲やレコーディングの様子を公開してくれたり、質問やリクエストに答えてくれたり、DIYや蕎麦打ちなどの家で出来る趣味を始めていたり、とにかく工夫して様々な楽しみをくれます。

彼らミュージシャンは単なる「楽器を演奏する人」ではなく、「エンターテイナー」なんだよなと、改めて日々感じています。

ライブが出来ないことの代替として活発になっているネット配信ですが、別にライブでなくても、バンドの演奏でなくてもいいんです。
他愛もないおしゃべりでも、音楽とは関係ない趣味の話でも、もっと言えば動画でなくて写真でも文字でも何でもいい。

推しが健康で、ちゃんと食べて寝て元気にしているか、楽しいことを見つけて笑ってるか、それを知ることが出来る。

それだけで私はたくさんの元気をもらえます。
推しが生きてるなーって感じられると、自分も生きてるなーって心から思えます。

それだけでも十分なのに、彼らは更に私達を楽しませようと、より一層知恵を絞ってくれる。
外出自粛でなかったら見れなかったようなレアな企画やパフォーマンスもあって、更にけ充実した推し活が出来ている面すらもあります。

推しがいて本当に良かった。

(あとネットがある時代で、しかも推しバンドにわりとSNS活発な人が多くて良かった…!)

推しのいる人生は、外出自粛中の制約がある中でもやっぱり最高です。というお話でした。

……でもやっぱライブ行きたいなー!!

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