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「ダメおば」ができるまで。

職場に一人や二人、困ったおじさん、おばさんっていませんか?若者からしたら、親に近い年代の人たちなので注意がしにくい。人生経験積んだいい大人なんだから若者にそんな気持ちにさせちゃ、ほんとはダメなんだけどね。

私がダメおばになりかかった要因の一つは、当時よく放っていたこの言葉に集約される。

「できない人の気持ちがわからないのよね~」

この言葉の前段としてあるのが「育成は苦手」「なんでこんなことしちゃうの?」「なんでこんなものができちゃうの?」

ぱっと見からしてヤバ気な言葉ではありますが、見た目以上にやばいのはその人の中身。この言葉が自分から出てきたらもちろんアウトだし、思っちゃったら要注意。そして、こういうことを言う人にはあまり関わらないほうが良いかも。そんな人いないよ、と思うかもしれませんが、根底に見え隠れする発言をする人は思っている以上に多いです。

こういう人とはどういう人か。

自分の能力を固定化しまった人ですね。この早い時代の流れの中で、今を起点に「自分はできる人」と決めちゃったんですね。そして、人の気持ちを理解するのではなく、周りが私を理解しろ、っていう思考なんですよ。過去の栄光を語るおじさんたちも同じ心理だと思います。まぁ、前時代だったらそれも可能だったんでしょうけど、今は無理ですよね。

この手の人は、若手の台頭に焦るので邪魔したり、叩いてきます。もっと悪くなると、人に仕事を押し付けたり、手柄を横取りしたりします。あとね、教えるのを嫌がる。私は、このタイプでしたね。俗にいう「自分でやった方が早い」って人。相手の学ぶ機会を奪うことで自分の上に行くことを阻止、または遅らせようとしてるんです。

こっち側に行った人は遅かれ早かれ、成長は止まります。そして、手抜きをし始める。私の場合はこっち側に行きかけた時、運よく事態が動いて踏みとどまれました。

なにがあったかというと、上司交代です。

それまでの上司は、良くも悪くも「何もしない人」。できなくても酷評しないかわりに成果を上げても評価もしない。これで多くの優秀な同僚が辞めたし(転職先はみんな、誰もが知ってるような優良企業)、私が腐る要因の一つでもありました。今思うとこの上司、私より10歳近く若かったけど、発想は同じだった気がしますね。変化の速い会社なので、ついていけず現状維持を願ってたのかもしれません。

私は同僚のように転職する勇気もない。40代の転職は厳しいですし、この年齢で環境を変えるリスクを考えると容易にできない。ま、本当に自信があればするんでしょうけどね。

で、自ら残ることを選択しておきながら、仕事してもしなくても変わらないなら、手を抜いてもいいじゃん?ってなりました。もう一ついうと、今まで貢献してきたし、みんなができないことをやってきた自負もあって、ちょっとぐらい休ませてよ、という気持ちもあった。

そして、新上司との面談。彼は転職組なので、まぁ、当たり障りなくやった。パンチをかまされたのは新しい課長ではなく、たまたま同席した部長。仕事自体はそれなりのことをしてるので評価は悪くなかったんですが、私の一言が問題でした。

手を抜いた一つのことが目標未達。これに対して反省の弁が「仕方ない」まぁ、言い訳ですよね。正直、達成は可能だったんですけど「どうせ評価されないし、まいっか」にした自覚はあった。そこを見透かされた。

「仕方ないで終わらされたら困るんだよ。仕事なめるなよ」

関西弁で縦も横も大きい強面な人なんで、なかなかの迫力でしたね(でも、年下っていうね)。この一言で背筋が伸びました。

そうだった、お金もらってるんでした。

これをきっかけに、中年の憂鬱から抜け出せました。もちろん、いきなり変わったわけではないですが、緩やかに好転していった。

若い人はこういうおじさん、おばさんに出会ってしまったら、かわいく教えを請えばたぶん教えてくれます。いい気持にさせるのが手だけど、あからさまはダメ。あくまでも自然にね。

そして、自分がこうなってしまったらどうするか。

外を見ましょう。

社内に収まっていてはダメです。外部セミナーでも、他社交流でも何でもいい。自分の分野の第一線にいる人たちの話を聞いて、話をするんです。自分の立ち位置を知ることができるし、まだやれることはあると思える。欲を言えば、若い人が多いと刺激も大きいのでショック療法にもなります。

日々起きている革新から目をそらしてはいけない。自分がその革新の中心人物ではない限り、まだ学ぶことはある。

新しいチャレンジしている間は、腐らないし謙虚にもなれます。自分もまだまだだってね。年齢関係なく井の中の蛙には注意しましょうね

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