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「note」癒える日本


『きみに読む物語』から齎されたぼくのフィクション


アメリカ映画の『きみに読む物語』を見た。多分、数年前なら、こんなに感動することはなかった、というか、「感動するもんか」という凍った想いがどこかにあり、こんなに豊かな、なんと表現したら適切かわからない、錯綜した感情を抱けることはなかっただろう。

以下に記すのは、想索である。どこまでが事実でどこからが幻想か自分にもわからない。あなたにはすべての今までの生きてきた道程が「夢」のようなものという感慨はないだろうか。ひょっとしたら、吾吾が現実と感じているものもあるイリュージョンなのかも‥‥。

『マッサン』の最終回を見た時も、吾が母は涙していたが、自分は頑なにどこかで「感激なんかしたくない」と感じていたように想い出される。あの朝ドラがあったのが、7年ほど前。

それから、現在に至るまで如何なることが筆者に出来し、この男を変えたのか。事実と想像の間(あわい)とでも表現した方がいい想索を記す。

楽天が日本一になった年、男は脊髄を複雑骨折する怪我を負い、人生初の救急車による搬送を体験した。ベッドの上でオムツをして排泄する体験も2週間程続け、生まれて初めての大手術に恐怖を抱いていたが、気づくと終わっていた。

若くて腕のいい確か「すがわら」先生の執刀、優しい看護師さん達のお世話、お付き合いしてくださった入院していた方々など沢山の人々のお陰で自分があることは今でも頬を雫が伝うほど、とても嬉しく有難い経験だ。

丁度1ヶ月後にリハビリのため転院した。そこでは今では考えられないことであるが、煙草も楽しめ、比較的自由な生活、妹たちや母、離婚して彼女たちとは没交渉となっていた父とも電話で楽しく話し、特に上の妹と話すときは馬鹿みたいに大笑いし、人生でもとても幸せな時間だった。車椅子で動く自分を見ると、年配の人、子供さんたちも前に小走りでドアを開けてくださって、今でもキッチンペーパーで頬や鼻を拭うほど、感謝の念が湧いて来る。デビルマンではないが、「‥‥知った人の愛、その優しさに」改めて感激し、人が例え醜いものを抱えた存在だとしても、人とはとても愛しいものだ、そう想う。

多くの美しく若い看護師さんたち(断っておくが、美醜や優劣、正誤などはただの好みの違いによる価値判断だ。別にそれらに実は価値の上下などはなく、もし、それがあるとすれば、自身の偏見であろう)にも囲まれ、同室の人たちとも楽しく交流し、とても楽しい人生の季節だった。

その中でその言動から、ちょっと好ましくは感じられない看護師さんがおられた。悪い人ではないが、なんか隣の患者さんにも対応に温かさが少なく、心が少し荒んでいる、そんな感じがした。

その方とある日、エレベーターで2人きりになり、自分は話すこともなく、黙っていた。すると、その看護師さんは降りて帰られる時、
「わたし、結婚してますから」と、怒った風で捨て台詞を。
うーん。多少は憧れのような視線でも向けて、冗談でも言えばよかったのか‥‥。でも、自分はとても正直だからなあ(それが、気に食わない、っつうの ! でも、人への対応もただの好みの違いにより齎されるものであって、人の価値に上下・大小・高低などはない。あるとすればそれは偏見)。

中学生がいて、彼は男も合格が叶わなかった進学校を受験する予定で、生徒会長しているというスマートなルックスだった。彼とオセロをしていて、男が何手目かを打つとすべて盤面は白にひっくり返った。

同室の人々とも笑い合って過ごし、カクテルバーの経営者の葛さんには
「国境のない(軽々と越境してくる)人」などと評された。

消灯は21時であるが、その階の師長さんや看護師さんは日本シリーズの最終戦は終わりまで見ることを許してくださった。マー君が躍動していた。

リハビリではあまりの痛さに敢えて笑ってみた。ストレッチなどをしてくださっていた鈴木さんも、そんな男を見て、「痛いんですね」と笑顔を向け、リハビリ室が笑いが咲いたこともあった。

そんなこんなで、幸せな入院生活から、家へ戻り、男を待っていたものは失意の寒く、希望の感じられない日々だった。

冬道を杖をついて買い物しているととても辛く、途中の軒下で座って休んだ。そして、夜になると
「あと何年生きてしまうのだろう」
と、想いを廻らしていた。

まさに、人生の「玄冬」の中にいた。

                         to be continued

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