見出し画像

イエスマン

頼み事をされたら断れない。

返事だけは一丁前。

イエスと言った事に、後々後悔する。

何でもイエスというのは、相手からすれば良いのだろうが、自分自身の首を絞めているともいえる。

どちらかというと、私もイエスマン。

人からの依頼ごとや頼まれごとは基本応えたいと思っている。

でも、本来自分がやらなければならない使命もある。最終的に頼まれてたことが疎かになってしまい、頼んでくれた人の自分に対しての評価が下がってしまう。

なんでもイエスというのは、ある意味人の欲求に支配されているとも言えるのではないか。

決して人の頼みごとを断れ。というわけではなく、自分を犠牲にしてまでやることなのか。自分のキャパとはしっかりと向き合わないといけないし、軽く受け入れるのは何も考えていないのと同じ。

イエスというのは、即答はすべきではない。考えて相手の助けになれる。そして自分にもプラスになるのであればイエスというべき。

そうでなければノーという勇気を持たなければならない。

まぁ、このノーというのがイエスマンからすれば難易度が高いのだが。

先日より、エッセンシャル思考の本を読みはじめている。和訳もわかりやすくされており、非常に読みやすく理解しやすい。

そして、イエスマンを脱するためのヒントも隠されている。

偉そうに書いてきたが、私はイエスマン。
自分の人生を生きる為にも、いち早くイエスマンから抜け出したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?