海の向こう隣りはニューヨーク
横なぐりの雨風が荒れ狂う
帽子のうえにフードをかぶる
パンツまでぬれはじめた
ヨーロッパの西の端アイルランド本島の
ゴールウエイから
さらに西の孤島アラン
夫と5人の息子をつぎつぎ荒海にうばわれ
最後にのこった息子も風浪にのまれ
「みんなこの世を去ってしまった。
だから海はこれ以上、
私にどうすることも出来やしない……」
と年老いた母は十字を切った
シングの戯曲『海へ騎りゆく人々』の
忘れがたい科白だ
石ころと岩だけの不毛の島は
海に生活の糧をもとめた
木組みに布をはり
コールタールをぬりつけた
カラハと呼ばれる
手こぎの小舟で海へのり出し
命がけで大ザメと格闘する
サメからランプ用の油がとれた
漁のないときは
肥料となる流れついた海草を
岩に敷き
風が運んできた土をかきあつめ
砂とまぜあわせて
馬鈴薯を植える
貴重な土と作物が
吹きとばされぬよう
まわりを石積みでかこむ
パリで失意にあった
アイルランドの文学青年シングは
同郷の先輩のイェイツのすすめで
百年ほどまえ
アラン島にわたった
近代文明からかけはなれ
純朴で剛健な気風とケルトの伝承に生きる
島民を題材に
不朽の名作、紀行文『アラン島』
戯曲『海へ騎りゆく人々』をのこし
30代で早世した
シングに刺激をうけた菊池寛は
鰹漁に生き海に消えた
四国の漁民の姿を
『海の勇者』に描いた
「また海奴が人間を欲しがっているわい」と
不吉な思いを老婆に語らせている
風は止んだが
霧と雨で冷えこんできた
数頭の牛が体をよせあい
石積みの陰にうずくまっている
海辺の家のうらに一艘のカラハ
船底に大穴があき、木組みも朽ちている
苛酷な時代の証か
島に電気がついたのは50年ほど前
石ころと岩だらけの島に
今は観光客がおとずれ住民の生活は一変した
が、夏すぎれば
自然とのきびしい対決がまっている
古くは5世紀から
今も
最果ての島に何故に人は住むのか?
海の向こう隣りはニューヨークさ
と島の人は笑う
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?