マガジンのカバー画像

わび寂びライカ EU

18
わがカメラ事始めは、30年ほどまえのイタリアの旅。出発まぎわに「写真の撮り方入門」を手にした泥縄そのものであった。 そんな初心者が、プロ仕様のピントも露出も手動のニコンF3で撮っ…
運営しているクリエイター

#わたしの旅行記

わび寂びライカ

わがカメラ事始めは、30年ほどまえのイタリアの旅。 出発まぎわに「写真の撮り方入門」を手にした泥縄そのものであった。 そんな初心者が、プロ仕様のピントも露出も手動のニコンF3で撮って、ピンボケだらけのネガの山を築いた。 アッシジの路地裏。あ、同じカメラを持っている! とお互い思わず駆けよった相手がドイツの女子学生であった。 ベテラン風情の彼女は、プロ風にニコンを「ナイコン」と発音して、ライカより良い「キャメラ」、と。 その後、イタリアの失敗写真から抜けだそうとF3のシャ

聖母被昇天

1995年 ヴェネツィア サンタ・マリア・フラーリ教会 この教会の祭壇をかざる「聖母被昇天」 ヴェネツィア派絵画の 巨匠ティツィアーノの最高傑作だ 聖母マリアの眼差しは天国に向けられ 見る者の視線をも方向づける。 金色の光のなかで 神は身をかたむけ天に召される マリアを待ちうけている 下では空になった墓から マリアを見あげて パウロ、ヨハネらの使徒が おどろき動揺している バロック的でダイナミックな構図 全体をつつむ暖かい色彩 神々しい金色のかがやき 赤い衣をまと

コペンハーゲンの「解放区」

足を踏み入れたとたん、息をのみ立ちすくんだ スプレーで描いた前 衛的な絵や落書きで 壁一面がおおわれた廃屋群のど真中 ヒッピー風や 子連れの黒人親子もそこかしこ 人々の表情は、わりと穏やかで知的な 顔も見えるが ニヒルな雰囲気があたりに漂っている コペンハーゲンの町外れ、運河に囲まれた一角に クリスチャニアと呼 ばれる「解放区」がある 一九七〇年代、軍隊の兵舎や倉庫だった空き家を 浮浪者、元犯罪者、ヒッピーの若者、ヨーロッパ流れ者が いつ の間にか無断占拠してしまった

遠く異郷の街 コトル

足もとにボールが転がってきた。 顔をあげると3、4歳の坊やがにこにこ笑っている。 カフェの椅子から立ちあがり、サッカーボールを蹴りかえした。 モンテネグロがほこる世界遺産の街コトル。 クロアチアのドブロブニクから 陸路バスで国境をこえモンテネグロに入ると、道はがたがた。 アドリア海をのぞむ断崖のガードレールは、赤錆がうかび心もとない。 2時間ほどで海沿いの小さな街コトルに着いた。 城壁にかこまれた旧市街に足をふみいれると、 中世の裏街に迷いこんだかのよう。 広場のカ

この世の天国 ドブロヴニク

夢うつつに何か聞えてくる。 たしかに窓の下から、かすかにコトコトコト……。 寝ぼけ眼で重たい鎧戸をあけると、 真下の広場では、うす暗いなか、 採れたての野菜、果物、花などをならべている。 まもなく朝市がはじまるのだ。 多民族国家ユーゴスラヴィアを治めてきた英雄チトー亡きあと、 連邦のタガがゆるみ、1991年、クロアチアが独立を宣言。 それはならじとセルビア人を主とするユーゴ軍が侵入、 クロアチア内戦が起きた。 ユーゴ軍とクロアチア軍、住民同士であったクロアチア人と 独立