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わび寂びライカ EU

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わがカメラ事始めは、30年ほどまえのイタリアの旅。出発まぎわに「写真の撮り方入門」を手にした泥縄そのものであった。 そんな初心者が、プロ仕様のピントも露出も手動のニコンF3で撮っ…
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#一度は行きたいあの場所

わび寂びライカ

わがカメラ事始めは、30年ほどまえのイタリアの旅。 出発まぎわに「写真の撮り方入門」を手にした泥縄そのものであった。 そんな初心者が、プロ仕様のピントも露出も手動のニコンF3で撮って、ピンボケだらけのネガの山を築いた。 アッシジの路地裏。あ、同じカメラを持っている! とお互い思わず駆けよった相手がドイツの女子学生であった。 ベテラン風情の彼女は、プロ風にニコンを「ナイコン」と発音して、ライカより良い「キャメラ」、と。 その後、イタリアの失敗写真から抜けだそうとF3のシャ

運命の石

ダブリンの北西30キロにある小高いタラの丘 羊のフンをふまぬよう、そろそろ登って行く あたりはなだらかな牧草地で 羊の群れが草を食んでいる アイルランドに渡ったケルト族は 部族ごとに分かれ小国が争っていたが 王のなかの王ともいうべきタラの王をえらび その王のもとにゆるやかな連合をつくった タラの王は 宗教的な役割が色こくシンボル的存在であった 大陸からキリスト教が伝わり全土に広がるにつれ タラは影をうすめ 10世紀ごろ、タラの王座は消える が、この丘は アイリッシュ

神の声をきいた

アアー、アアァーアアアァー 厳かな声が 天から降りそそいでくる これはなんだ、神の声ではないか…… じつは僕の声が 高い円天井にこだましているのだった その間およそ8秒 赤茶けた荒地にオリーブの樹がひろがる丘を 幾度となく登ったり下ったり グラナダから車で60分のモンテフリオに着いた 白壁の家が 丘の斜面に連なる住民2000人だが スペインでもっとも美しい村といわれる 道ばたの八百屋から出てきた老人に誘われるまま 教会裏手の扉からドームへ通じる狭くて暗い すりへっ

コペンハーゲンの「解放区」

足を踏み入れたとたん、息をのみ立ちすくんだ スプレーで描いた前 衛的な絵や落書きで 壁一面がおおわれた廃屋群のど真中 ヒッピー風や 子連れの黒人親子もそこかしこ 人々の表情は、わりと穏やかで知的な 顔も見えるが ニヒルな雰囲気があたりに漂っている コペンハーゲンの町外れ、運河に囲まれた一角に クリスチャニアと呼 ばれる「解放区」がある 一九七〇年代、軍隊の兵舎や倉庫だった空き家を 浮浪者、元犯罪者、ヒッピーの若者、ヨーロッパ流れ者が いつ の間にか無断占拠してしまった

この世の天国 ドブロヴニク

夢うつつに何か聞えてくる。 たしかに窓の下から、かすかにコトコトコト……。 寝ぼけ眼で重たい鎧戸をあけると、 真下の広場では、うす暗いなか、 採れたての野菜、果物、花などをならべている。 まもなく朝市がはじまるのだ。 多民族国家ユーゴスラヴィアを治めてきた英雄チトー亡きあと、 連邦のタガがゆるみ、1991年、クロアチアが独立を宣言。 それはならじとセルビア人を主とするユーゴ軍が侵入、 クロアチア内戦が起きた。 ユーゴ軍とクロアチア軍、住民同士であったクロアチア人と 独立