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わび寂びライカ EU

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わがカメラ事始めは、30年ほどまえのイタリアの旅。出発まぎわに「写真の撮り方入門」を手にした泥縄そのものであった。 そんな初心者が、プロ仕様のピントも露出も手動のニコンF3で撮っ…
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2022年12月の記事一覧

さらばグラダナ、わが愛を!

晩秋、観光客があふれるアルハンブラ宮殿をさけ、フェネラリーフェに足をむけた。 アルハンブラ宮殿は城塞であり、イスラムの王が政務をとる場で、その住まい。 フェネラリーフェは、王の離宮で女人禁制であった。宮殿とは谷ひとつ隔てた丘にある。   そこは人もまばらで別天地であった。 ひそやかにひびく水音がする。イスラム庭園の粋「水路のパティオ」。 静かな空間に、いっそうの奥行を与える水の音。 日本庭園の鹿威しの、まわりにひびく澄んだ音だ。 これはオリエントの世界。   さらに奥へ

銃口を向けられた東ベルリン

便座に腰かけたら、足が床にとどかない。靴が床から10㎝ぐらいのところに浮いている。地に足がつかないとは、このことか。 ローマ空港のトイレで味わった情けない思い出だ。 旅をかさねると、愉快な話、恥ずかしい話が多々あるが、怖い話もある。 60年ほどまえ1965年、自動小銃の銃口を向けられたことがある。 ベルリンの壁にある検問所、チェックポイント・チャーリー。 車のトランクなどに隠れて東から西への脱出が絶えない場所で、 東西冷戦のさなか、スパイ小説や007などの映画の舞台にも

わび寂びライカ

わがカメラ事始めは、30年ほどまえのイタリアの旅。 出発まぎわに「写真の撮り方入門」を手にした泥縄そのものであった。 そんな初心者が、プロ仕様のピントも露出も手動のニコンF3で撮って、ピンボケだらけのネガの山を築いた。 アッシジの路地裏。あ、同じカメラを持っている! とお互い思わず駆けよった相手がドイツの女子学生であった。 ベテラン風情の彼女は、プロ風にニコンを「ナイコン」と発音して、ライカより良い「キャメラ」、と。 その後、イタリアの失敗写真から抜けだそうとF3のシャ

ライカよもやま話

25年ほどまえ、ドイツはハンブルクの街角。 暗がりにライカM6をおとしてしまった。レンガの舗道に落下しガチッと音がして底蓋の角が凹んでいた。レンズの鏡胴にも傷がある。おそるおそるフィルムを巻きあげ、翌朝カメラ屋にとびこんだら、ちゃんと動くよ、と。 港町ハンブルグの路地裏を歩きまわりスナップを撮ることができたのは、頑丈でなかなか故障しないライカのおかげであった。ドイツ製品の堅牢さとそれへの信頼がある。 1910年代、ドイツのオスカー・バルナックが小型カメラの原型を発明し、