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港町・函館 今と昔

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天然の良港をいだく函館。 高田屋嘉兵衛の千石船が出入りし、ペリー提督が水と薪をもとめて開港をせまり、戊辰戦争では榎本武揚の艦隊が官軍と交戦するなど歴史を刻んできた。 開港160年…
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#忘れられない旅

現存する唯一の関帝廟

函館山のふもとには 明治のころに建てられた 煉瓦造りの建物がある 金森赤レンガ倉庫、旧ロシア領事館 これらは洋式であるが 函館中華会館(現在・閉館)は 赤レンガでぐるりと囲まれ中を うかがうことができない 国内にただひとつのこる 清朝様式の建築物 明治43年、函館在住の華僑により 三国志の英雄・関羽をまつる関帝廟 同郷の集会所として建てられた 釘一本使わない清朝様式の建築で 大工、彫刻師、漆工を中国からまねき 祭壇、什器なども本国からとりよせ 工期に3年かけた 内部は

踊る縄文人

30年まえ、函館の市街地から30分 津軽海峡をのぞむ「戸井貝塚」から 縄文の骨角器が発掘された 釣り針、貝を加工した腕輪などの装飾品 海に漕ぎだした小舟をかたどった舟形の土製品も出土 四千年まえの縄文時代後期の生活が目に浮かぶ そのなかで、エゾ鹿の角から作られ、体に沢山の穴が開けられた 人型の角偶(かくぐう)が、損傷もなく完全な形で世に現れた この角偶を一目見たとたん、縄文人がモダンジャズを踊っている!   ピアノを弾いているのは、オスカー・ピーターソン? ー縄文の世

赤とんぼ

牧草地が広がるなかを杉とポプラの一本道が 真っすぐにのびている その先、一段と高くなった丘のうえに 男子修道院が立ち 静寂と神々しさがあたりに満つ 修道院の十字架が日差しにきらりと光り 鐘が鳴りわたった この道を歩くたびに 天国へ向かうがごとき思いとなる 三木露風は、10代後半 詩人で世にでるも悩みをかかえ 20代半ばに函館近郊の修道院を訪れた 3週間の滞在中に 詩集『良心』を書きとめている 31歳のとき、初代・修道院長ジュラール・プゥイエ (のちに帰化して岡田普理

縄文のヴィーナス

半世紀ほどまえ、 ひとりの主婦がじゃがいも畑で鋤をいれると ガチっと何かにあたった。 泥をとると人間のような目と鼻があらわれた。 腰をぬかすほどびっくり。 家族は、これ、土偶みたい、と。 函館郊外、昆布の里で知られる南茅部。 太平洋をのぞみ温暖で 豊かな自然にめぐまれている。 3500年まえ、縄文後期、 縄文人がマグロを獲り鹿を狩り、 栗の実をとって住んだ。 いまは、その遺跡があちこちにある。 そのひとつから中空土偶が姿をあらわした。 発掘から重要文化財、 さらに北海道唯

大沼だんご

大正のころ、 ひとりの俳人が 陸蒸気(蒸気機関車)にのって 大沼公園にやって来た。 晴れわたった空、 のびやかな駒ヶ岳に心をうばわれ、 湖面にうかぶ島々と紅葉に感嘆。 さらに、口にしただんごの美味しさに びっくり、 句を詠んだ。 「花のみか紅葉にもこのダンゴ哉」。 明治から昭和の京の俳人、上田聴秋。 1905(明治38)年、 大沼が道立公園(今は国定公園)となった。 陸蒸気にのっておとずれる観光客向けに、 大沼だんご🍡は駅ちかくで 茶店をいとなむ 初代・堀口亀吉があ

これぞビフテキ 湖畔のランバーハウス

A5ランクの米沢牛を山形の産地で味わったことがある。 たしかに柔らかくうまかったが、 これなら大沼牛も負けていないな、と。 冬ともなれば、山頂からふもとまで ノンストップで2本ほど滑って 大沼のスキー場をあとに、 湖畔の雪にうもれた丸太小屋、 ランバーハウスに急ぐ。 そこで、地元産の大沼牛のビフテキに 食らいつくのだ。 素材の旨味、 甘みをひきだした シンプルな ここのステーキ。 米沢牛にくらべて歯ごたえがある。 肉を食べている実感がある。 肉のうまさは、等級だけではな

ベラルーシの子供たち

わっと歓声があがった。 一瞬、どこの国の言葉か分からない。 パチパチ弾く線香花火であそぶ ベラルーシの子供たちであった。 ここ函館ハリストス正教会の信徒会館で ひと夏をすごすうちにみるみる元気になった。 37年まえ、1986年4月26日。 ウクライナのチェルノブイリ原発4号炉が爆発。 ヘリコプターから大量の砂、鉛などが投下され、 原子炉をコンクリートで覆う石棺化により ひとまずは放射能を封じこめた。 だが、その間に放射能は風に乗り、 世界各地で、 およそ8000キロはなれ

幻の岩海苔

一口食べると磯の香がひろがる。 さらに二段重ねて口にいれると美味い! 箸がすすむ、すすむ。 弁当ひとつ、一気に食べてしまった。 松前「海苔だんだん弁当」。 函館から車で西へ 2 時間ほどの津軽海峡の町・松前。 冬、寒風の下、漁師のおかみさんたちが、荒波に洗われた岩場で岩海苔をひとつひとつ手で摘み、すだれで天日干しに。 量が少なく、地元で食べられてしまうので、“幻の岩海苔”といわれる。 そのなかでも 1~2 月に採れる海苔は味がよく、“寒海苔”として珍重される。 老舗

一銭けれ 一銭けれ

力まかせに叩く太鼓、哀調をおびた笛、汗だくになった祭り半纏(はんてん)を脱ぎすてた若者が山車のうえで狂ったように飛びはねる。 そばで見ていて、背筋にぞくぞくっと興奮が走った。 夜もふけた10時すぎ、祭りはクライマックス。 13台の山車がずらりと並び、祭りばやしの競演が始まった。 江差・姥神大神宮渡御祭(うばがみだいじんぐうとぎょさい)。 370年ほどまえ、 鰊(にしん)の大漁を神に報告、感謝したのが祭りのはじまりで、 「江差の五月は江戸にもない」と鰊漁と北前船でにぎ

湯かげんは潮かげん  水無温泉

うーん、いい湯だな…… 思わず鼻歌がでた ここは、太平洋とつながった 野性味あふれる 露天風呂 函館郊外の水無海浜温泉 国内外からの秘湯好きが湯を楽しむ お爺ちゃんがひとり 長湯して 顔がまっ赤、ゆで蛸そのものだ そばの活火山・恵山(えさん)の熱で 温められた湯が海辺に湧き出し 海水とまじりあい良い湯かげんとなる 満ち潮となれば湯船は海に沈み 引き潮のときに 温泉を楽しめる 海水が干上がると 底から湧く源泉そのままで熱すぎる まさに湯かげんは潮まかせ 満ち潮のとき

わび寂びライカ

わがカメラ事始めは、30年ほどまえのイタリアの旅 出発まぎわに「写真の撮り方入門」を手にした 泥縄そのものであった そんな初心者が プロ仕様のピントも露出も手動のニコンF3で撮って ピンボケだらけのネガの山を築いた アッシジの路地裏 あ、同じカメラを持っている! と お互い思わず駆けよった相手がドイツの女子学生であった ベテラン風情の彼女は プロ風にニコンを「ナイコン」と発音して ライカより良い「キャメラ」、と その後、イタリアの失敗写真から抜けだそうと F3のシャッ

八乙女の舞

江戸初期のころ 砂金掘りにまぎれこんだ 隠れキリシタンの殉教の地 大千軒岳(標高1072m)のふもと 福島町千軒 白い花が一面に広がる そば畑の真んなかで 太鼓と笛と笙の音が ひびきわたり 若々しい巫女ふたりが 扇子を手に舞いに舞う なんとも幻想的な光景だ 豊作をねがう松前神楽・八乙女の舞 女子中学生の舞に よそろ! 良き候と声が掛かった そばの花が咲き乱れる 畑の傍らにある 「千軒そばの店」 農家のかみさんたちが 切り盛りする そこで、もりそば一枚 つなぎ無しの