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赤い靴(くつ) はいてた 女の子 異人(いじん)さんに つれられて 行っちゃった 横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って 異人さんに つれられて 行っちゃった 今では 青い目に なっちゃって 異人さんの お国に いるんだろう (抜粋) 作詞 野口雨情 大正11年 明治38年 わずか3歳のきみは、母かよと別れ 異人さんにつれられ船にのり函館をはなれた 旧桟橋(東浜桟橋)ちかくに 赤い靴の少女像「きみちゃんの像」がある 母
石川啄木は ふる里の岩手・渋民で日本一の代用教員となる と教育に情熱を燃やしていた だが、校長排斥ストライキの先頭に立って 代用教員をたった一年で首になる 石をもて追はるるごとく ふるさとを出でしかなしみ 消ゆる時なし 1907(明治40)年 啄木21歳の春5月、函館にわたった 詩集『あこがれ』で名が出始めた啄木を あたたかく迎えいれた 文学同人・苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)のつてで 彌生尋常小学校の代用教員となった わずか3ヶ月
現役最古参の市電は、いまだに窓枠が木製だ。 この製造から70年ほどの電車に乗れば、 高校生のころのわが姿が目に浮かぶ。 朝は、イワシの缶詰みたいにすし詰めの電車で登校した。 函館名物の大火、函館ドック、鮭鱒の北洋漁業、イカ釣り、青函連絡船、赤レンガ倉庫、新幹線……。 この港町の栄枯盛衰を見守りつづけた 市電は、1897(明治30)年、馬車鉄道を起源に開業。 それから125年あまりとなる。 1907(明治40)年、岩手から函館にやってきた石川啄木も 市電に乗ったにちが