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港町・函館 今と昔

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天然の良港をいだく函館。 高田屋嘉兵衛の千石船が出入りし、ペリー提督が水と薪をもとめて開港をせまり、戊辰戦争では榎本武揚の艦隊が官軍と交戦するなど歴史を刻んできた。 開港160年…
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#榎本

今宵最後、中島三郎助の宴 

幕末、ペリー提督が 上陸した沖之口番所跡を背に、 弥生坂の急な坂を登りつめた坂上で 振りかえると、 眼下に港がひろがる。 ここが幕末箱館随一の名園 といわれた咬菜園の跡。 旧幕府軍が本陣をおいた 基坂上の旧箱館奉行所からほど近い この名園は、榎本武揚政権が生まれ、 官軍が攻めのぼるまでは、 戦闘もなく平穏な日々で、 つかの間の清遊の場であった。 箱館市中取締役の土方歳三も 句会に参じている。 1869(明治2)年3月4日。 新政府による旧幕府軍への追討令が下って 官

榎本武揚の切腹

1868(慶応4)年、京都郊外の鳥羽伏見で官軍と旧幕府軍との間で火蓋が切られ、戊辰戦争の幕が開いた。 その戦争の最北端の地、箱館・五稜郭。 1869(明治2)年5月。最後の決戦にのぞもうと榎本武揚は、これからの新時代に有用であり兵火で灰にしてはしのびないと、国際法の秘蔵本『万国海律全書』を官軍の黒田清隆に贈った。 黒田は、かならず新日本の役にたてると返書をよせ、酒樽五本とマグロ五尾をどーんと届けた。武器と弾薬は足りているか、との文まで添えて。まさに敵に塩をおくる武士道その