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幕末、ペリー提督が 上陸した沖之口番所跡を背に、 弥生坂の急な坂を登りつめた坂上で 振りかえると、 眼下に港がひろがる。 ここが幕末箱館随一の名園 といわれた咬菜園の跡。 旧幕府軍が本陣をおいた 基坂上の旧箱館奉行所からほど近い この名園は、榎本武揚政権が生まれ、 官軍が攻めのぼるまでは、 戦闘もなく平穏な日々で、 つかの間の清遊の場であった。 箱館市中取締役の土方歳三も 句会に参じている。 1869(明治2)年3月4日。 新政府による旧幕府軍への追討令が下って 官
1868(慶応4)年、京都郊外の鳥羽伏見で官軍と旧幕府軍との間で火蓋が切られ、戊辰戦争の幕が開いた。 その戦争の最北端の地、箱館・五稜郭。 1869(明治2)年5月。最後の決戦にのぞもうと榎本武揚は、これからの新時代に有用であり兵火で灰にしてはしのびないと、国際法の秘蔵本『万国海律全書』を官軍の黒田清隆に贈った。 黒田は、かならず新日本の役にたてると返書をよせ、酒樽五本とマグロ五尾をどーんと届けた。武器と弾薬は足りているか、との文まで添えて。まさに敵に塩をおくる武士道その