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港町・函館 今と昔

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天然の良港をいだく函館。 高田屋嘉兵衛の千石船が出入りし、ペリー提督が水と薪をもとめて開港をせまり、戊辰戦争では榎本武揚の艦隊が官軍と交戦するなど歴史を刻んできた。 開港160年…
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2023年2月の記事一覧

神主が狂った

坂本龍馬を従兄弟にもつ 土佐藩士・沢辺琢磨は、 江戸藩邸につめ、 武芸道場の師範代をつとめていた。 だが、あるとき、 彼の運命を左右する事件に巻きこまれる。 1857(安政4)年、時計事件。 道場の仲間と酒に酔って 古物商が落した風呂敷包みをひろい、 そのなかの金目の懐中時計を 仲間が質入れして足がついた。 そのころ、江戸にいた 龍馬は、琢磨に江戸から逃げよ、と。 仙台、会津など奥羽をさまよい、越後で前島密に出会う。 のちに「郵便の父」といわれ、 箱館で航海術を学んだ

大沼だんご

大正のころ、 ひとりの俳人が 陸蒸気(蒸気機関車)にのって 大沼公園にやって来た。 晴れわたった空、 のびやかな駒ヶ岳に心をうばわれ、 湖面にうかぶ島々と紅葉に感嘆。 さらに、口にしただんごの美味しさに びっくり、 句を詠んだ。 「花のみか紅葉にもこのダンゴ哉」。 明治から昭和の京の俳人、上田聴秋。 1905(明治38)年、 大沼が道立公園(今は国定公園)となった。 陸蒸気にのっておとずれる観光客向けに、 大沼だんご🍡は駅ちかくで 茶店をいとなむ 初代・堀口亀吉があ

今宵最後、中島三郎助の宴 

幕末、ペリー提督が 上陸した沖之口番所跡を背に、 弥生坂の急な坂を登りつめた坂上で 振りかえると、 眼下に港がひろがる。 ここが幕末箱館随一の名園 といわれた咬菜園の跡。 旧幕府軍が本陣をおいた 基坂上の旧箱館奉行所からほど近い この名園は、榎本武揚政権が生まれ、 官軍が攻めのぼるまでは、 戦闘もなく平穏な日々で、 つかの間の清遊の場であった。 箱館市中取締役の土方歳三も 句会に参じている。 1869(明治2)年3月4日。 新政府による旧幕府軍への追討令が下って 官