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港町・函館 今と昔

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天然の良港をいだく函館。 高田屋嘉兵衛の千石船が出入りし、ペリー提督が水と薪をもとめて開港をせまり、戊辰戦争では榎本武揚の艦隊が官軍と交戦するなど歴史を刻んできた。 開港160年… もっと読む
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2022年12月の記事一覧

流鏑馬

全国から馳せ参じた武芸者が、どさんこなど和種の⾺上から⽮を放つ。 「どさんこフェスタin函館」の流鏑⾺⼤会。 180メートルの⾛路に、50メートルごとに⽴つ3つの的をつぎつぎと狙う。 ⼈⾺⼀体となって迫⼒満点。 ⼥性の参加も多く装束が華やかだ。 伝統武芸の故、おおかた神社が会場だが、 この年は、函館港の緑の島。 背景の⾃衛艦に⼸⽮で挑むが如きにも映り、 戦国の世から現代にタイムスリップしたのかと楽しんだ。

けあらし幻想

きびしく冷えこんだお正月の早朝。朝日が射し、風もおだやか。カメラをひっつかみ車で5、6分、湯の川温泉の根崎海岸に急いだ。 そこには、けあらし(気嵐)がたちこめていた。 眼前の、波音もなく無音の光景にことばもでない。 自然が創り出した造形だ。 凍えるような冬の早朝、海上に白くだだよう幻想的な霧を「けあらし」という。 もともとは、北海道・留萌地方の方言であったとか。 気象用語では「蒸気霧」。 海水温と外気温の差が15℃以上あり、 風はおだやかで晴れわたった早朝に発生。

一銭けれ 一銭けれ

力まかせに叩く太鼓、哀調をおびた笛、汗だくになった祭り半纏(はんてん)を脱ぎすてた若者が山車のうえで狂ったように飛びはねる。 そばで見ていて、背筋にぞくぞくっと興奮が走った。 夜もふけた10時すぎ、祭りはクライマックス。 13台の山車がずらりと並び、祭りばやしの競演が始まった。 江差・姥神大神宮渡御祭(うばがみだいじんぐうとぎょさい)。 370年ほどまえ、 鰊(にしん)の大漁を神に報告、感謝したのが祭りのはじまりで、 「江差の五月は江戸にもない」と鰊漁と北前船でにぎ

湯かげんは潮かげん  水無温泉

うーん、いい湯だな……。思わず鼻歌がでた。 ここは、太平洋とつながった野性味あふれる 露天風呂、 函館郊外の水無海浜温泉。 国内外からの秘湯好きが湯を楽しむ。 お爺ちゃんがひとり 長湯して、顔がまっ赤、ゆで蛸そのものだ。 そばの活火山・恵山(えさん)の熱で温められた湯が海辺に湧き出し、海水とまじりあい良い湯かげんとなる。 満ち潮となれば湯船は海に沈み、引き潮のときに 温泉を楽しめる。 海水が干上がると、底から湧く源泉そのままで熱すぎる。 まさに湯かげんは潮まかせ。

望郷の思い

大雪のあと晴れわたった函館・下海岸、汐泊川ちかくの浜辺。 昔そこにあった屋根の瓦と壁が欠け落ち、傾きかけた大柄の番屋は跡かたもなく消えていた。 イワシの木村番屋。雪原が広がっているだけ。  明治から昭和初期にかけイワシの大群がおしよせ海の色がかわった。イワシを大釜で炊いて畑作肥料となる漁粕が地域をうるおした。   漁期の11~12月、漁師は番屋に泊まりこみ“ヤサヨ、ヤサァヨー”と地引き網をひいた。女たちはイワシをつめこんだモッコをかつぎ浜と釜場を行きかう。 番屋跡にたた

函館山

戦後まもないガキのころ、なかまと探検気分で枯れ木をつえに、柵をこえて函館山要塞の地下連絡路に潜りこんだことがある。 人がやっと通れる幅で天井もひくく、はるか先の穴からもれる光をたよりに暗やみのなか腰をかがめてこわごわ進んだのであった。 この山に要塞が築かれたのは、日露戦争のまえであった。 開戦の翌日、はやくも津軽海峡に姿をみせたバルチック艦隊の巡洋艦は、眼下の海をゆうゆうと航行して米をはこぶ日本の船をしずめ、市民をパニックにおとしいれた。 ロシアは要塞砲の弾がとどく距

気のいいケーキ屋さん

うーん、これ絶品、エクセレント、三つ星、しあわせ。こんな美味いものが、世にあるのか。パリはシャンゼリゼ⼤通りのカフェで出会ったタルトタタン。 ポットごと添えられた⽣クリームをどんどんタルトのうえに流して⼝に運ぶと、 熱々の林檎に冷たい⽣クリームがぶつかり、そこへパリパリのパイ⽪が分け⼊ってくる。⾆のうえで、熱さと冷たさ、酸っぱさと⽢さがひびきあい、タルトタタンのシンフォニーが⾼らかに鳴りわたった。 パティシエ⼤桐幸介。北イタリア・ミラノで修⾏し、今は函館で菓⼦作り30

Xmas ファンタジー

幸せを呼ぶといわれるモミの木。 カナダ東海岸の函館の姉妹都市ハリファックスから毎年贈られ、はるばる大陸を横断し太平洋を渡ってくる。 高さ20mを越える大木は、港の片隅で艀のうえにイルミネーションを飾りつけ、船に引かれてベイサイドに据えつけられる。 ある年、モミの木に虫が見つかり検疫で不可となり大慌てで道内産の木を探しあてたこともあった。 ここ3年ほどコロナ禍もありカナダからの寄贈もかなわず道産の木を使っている。 冬空を彩って今年で24年となる。

わび寂びライカ

わがカメラ事始めは、30年ほどまえのイタリアの旅。 出発まぎわに「写真の撮り方入門」を手にした泥縄そのものであった。 そんな初心者が、プロ仕様のピントも露出も手動のニコンF3で撮って、ピンボケだらけのネガの山を築いた。 アッシジの路地裏。あ、同じカメラを持っている! とお互い思わず駆けよった相手がドイツの女子学生であった。 ベテラン風情の彼女は、プロ風にニコンを「ナイコン」と発音して、ライカより良い「キャメラ」、と。 その後、イタリアの失敗写真から抜けだそうとF3のシャ

八乙女の舞

江戸初期のころ、砂金掘りにまぎれこんだ隠れキリシタンの殉教の地、大千軒岳(標高1072m)のふもと。福島町千軒。 白い花が一面に広がるそば畑の真んなかで、太鼓と笛と笙の音がひびきわたり、若々しい巫女ふたりが扇子を手に舞いに舞う。なんとも幻想的な光景だ。 豊作をねがう松前神楽・八乙女の舞。 女子中学生の舞に、よそろ! 良き候と声が掛かった。 そばの花が咲き乱れる畑の傍らにある「千軒そばの店」。 農家のかみさんたちが切り盛りする。そこで、もりそば一枚。 つなぎ無しの十割だ

榎本武揚の切腹

1868(慶応4)年、京都郊外の鳥羽伏見で官軍と旧幕府軍との間で火蓋が切られ、戊辰戦争の幕が開いた。 その戦争の最北端の地、箱館・五稜郭。 1869(明治2)年5月。最後の決戦にのぞもうと榎本武揚は、これからの新時代に有用であり兵火で灰にしてはしのびないと、国際法の秘蔵本『万国海律全書』を官軍の黒田清隆に贈った。 黒田は、かならず新日本の役にたてると返書をよせ、酒樽五本とマグロ五尾をどーんと届けた。武器と弾薬は足りているか、との文まで添えて。まさに敵に塩をおくる武士道その