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枯れ寂びライカ Japan

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ネットで遊んでいたら、ロマネ・コンティ1億2千万で売り出されていた。その高額に腰を抜かした。さらに、1945年生れでなんと71年もの。これで腰がくだけた。
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#わたしの旅行記

ロマネ・コンティ1945

ネットで遊んでいたら、 ロマネ・コンティが1億2千万で売り出されていた。 その高額に腰を抜かした。 さらに、1945年生れでなんと71年もの。 これで腰がくだけた。 世界大戦が終わった1945年、稀なる好天気でぶどうの出来は最高。 空前絶後の当たり年にロマネ・コンティは、たったの600本。 そのなかで、いま1億円ほどの3リットルボトルは2本だけ作られ、 その1本が妖怪のごとく日本に現われた。 「わいんばー・ギンザ」。 銀座コリドー街で営んで開業35年、ワインバーの草分けだ

太宰治『津軽』

日本海の漁師町、小泊に路線バスで 着いたときはすでに夕暮れ なにはともあれ 太宰治と越野たけの像にむかった 太宰の小説『津軽』を手に 作家が古里を20日ほど歩いた その足跡をたどろうと 津軽半島をまわった 大地主10番目の子であった津島修治は 2歳から6歳まで子守のたけが 母親代わりであった が、あるとき育ての親は姿を消してしまう 『津軽』は、自分さがしの自伝小説で 山場は たけとの30年ぶりの再会だ   「修治だ」 私は笑って帽子をとった   「あらあ」 それだけで

神々のおわす熊野 つぼ湯

足を入れると、熱い!こわごわ体を沈めるが、 とてつもなく熱い。 うめ湯をいれ、どっぷり浸かった。 これぞ、熊野古道の名湯ひとり占め。 1800年まえに発見された日本最古の湯の峰温泉は、 交通不便のせいか、ひなびたたたずまいを残している。   2004年、湯の峰の「つぼ湯」が、混浴の共同浴場として 世界でただひとつ、世界遺産に登録された。 この湯を浴びるのが、旅の目的のひとつ。 ただ、このところ、順番待ちが長く入れぬこともあるとか。 「今、開いている」、番台へ電話してく