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枯れ寂びライカ Japan

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ネットで遊んでいたら、ロマネ・コンティ1億2千万で売り出されていた。その高額に腰を抜かした。さらに、1945年生れでなんと71年もの。これで腰がくだけた。
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#マティス

ロマネ・コンティ1945

ネットで遊んでいたら、 ロマネ・コンティが1億2千万で売り出されていた。 その高額に腰を抜かした。 さらに、1945年生れでなんと71年もの。 これで腰がくだけた。 世界大戦が終わった1945年、稀なる好天気でぶどうの出来は最高。 空前絶後の当たり年にロマネ・コンティは、たったの600本。 そのなかで、いま1億円ほどの3リットルボトルは2本だけ作られ、 その1本が妖怪のごとく日本に現われた。 「わいんばー・ギンザ」。 銀座コリドー街で営んで開業35年、ワインバーの草分けだ

『マティス 自由なフォルム』

ロザリオ礼拝堂 昔々、フランスに旅したとき 南仏のロザリオ礼拝堂を訪れたかったが 時間がなくて果たせなかった覚えがある 新国立美術館で その礼拝堂が再現されていると聞き いの一番に駆けつけた マティスは第2次大戦の戦火から逃れるべく ニースから近いヴァンスに移住 そこの修道院の求めで 礼拝堂の立ち上げにたずさわった このとき、マティスは切り絵を制作し 建築家、ガラス工、陶工など さまざまな職能集団を動員した マティスは 「この礼拝堂は、私にとって一生の仕事の集大成で