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よさこい:人生の半分を費やす価値のある趣味㉔ ~願い~

さて、このシリーズも24回を迎えました。
前回、今年の話を書いたので、もうそろそろ書くネタがないです(笑)
そこで、今回は、今後の願いを書いてみたいと思います。
もしかすると、高知のよさこいまつり関係者からは「いらんお世話だ」と、言われてしまうかもしれませんが、20年よさこいをやってきての経験と、時代の流れを感じながらの戯言だと思って読んでください。


66年も続く祭り

よさこいは、もともと高知県で生まれました。
戦後から約10年たった1954年、高知商工会議所の有志らが

「市民の沈滞ムードを一新するため、阿波踊りのようにみんなが楽しめ、永続性のある祭りをつくろう!!」

と、市や県に協力を要請して開催に至りました。

というのもこの当時全国的にも戦後復興を掲げ、街の活性化のために「お祭り」を行う機運が高まってきていたそうです。
(どまっぷさんブログ引用)

詳しくはどまっぷさんの記事をご覧ください。
https://domap.jp/yosakoiwosirou-yosakoitoha/

66年ってかなり長い年月だと思います。
だからこそ、伝統あるお祭りだといえるのだと思います。

よさこいが、日本中に広がったきっかけは、北海道のYOSAKOIソーラン祭りだといわれています。
それは、確かにそうですね。
僕は、ほかにも要因があると考えています。


日本中への拡散

要因その1 橋ができた
よさこいが、日本中に広がったのは、四国と本州をつなぐ交通が発展したのが大きな理由だと思います。
それまで四国は島国なので、どうしても本州との隔たりがあったのだと思います。
その中で、高知よさこいは素晴らしい文化として発展していきました。
そして、本州と四国を結ぶが完成しました。

明石海峡大橋  1998年
瀬戸大橋  1988年
瀬戸内しまなみ海道  1999年

特に、明石海峡大橋の開通で、関西から東側のエリアからのアクセスが、非常に便利になりました。
所要時間も短縮されました。
そのころから、県外チームの参加が増えてきました。

要因その2 ネットの世界
ネットの世界の広がりも大きい要因ではないでしょうか。
高知のよさこいまつりを今まで知らなかった方々が、ネット上で見たり聞いたりするようになり、そこから興味がわいて、実際に高知に訪れたりしたのではないかともいます。
SNSが普及したのも、追い風となったのではないかと思います。
最近では、SNSを通じて世界中によさこいが発信されています。
そのおかげでより多くの方の目に留まるようになりましたよね。

要因その3 多様性
高知のよさこいが全国に広がったのは、曲や振り、衣装の多様性だと思います。
かならず○○でなくてはいけないというルールがほとんどないんです。
もちろん高知のよさこいまつりでは
鳴子をならすこと
前に進む踊りであること
地方車を用意すること

など、結構ハードルが高かったりします。
ところが、そういうルールは置いといて、衣装や踊りや曲は興味深いものがあったんでしょうね。
その部分は、基本自由なのでそれをまねて広がっていきました。
普通ならここで、鳴子を鳴らしてないとか、前に進んでないとかっていう話になるのですが、高知の方々は、寛大な心で、よさこいが広まってほしいということで、喜んだそうです。(諸説あり)

そのあたりが、よさこいがここまで広がった理由ではないでしょうか?


未来へ

この話をすると、誤解を招くかもしれませんが、何がいいとか悪いとかそういう話ではないことをご理解ください。
今、よさこいというものの方向性が少し変わってきている気がします。
日本で行われているよさこいが原点と思われるお祭りは

高知よさこい祭り
YOSAKOIソーランまつり
にっぽんど真ん中まつり

他にも大きな規模のお祭りはありますが、影響力のありそうな3つを挙げてみました。
どれも、それぞれの色があって、参加チーム数や観客動員数も多いです。
多くの踊り子が、これのどれかに出ることを目標に活動しているのではないでしょうか?

僕が、最初に「変わってきている気がする」といったのは、数年前までは、高知のよさこいとは少し雰囲気が違った、大道具やスクリーンなどが登場し、衣装替えなどもあって、演出も凝っていて、まるでショーを見ているような演舞が多かったです。
僕も、どまつりに出ていたので、そういった演舞を作っていました。
これは、高知よさこいと違って、流し踊りがあまりなく、ステージ形式の演舞が多いというもの大きな要因ですね。

ところが、最近は高知のよさこいに近いような、鳴子を鳴らし、隊列で踊るシンプルなスタイルが流行ってきているような気がします。
各地のお祭りも、流し踊りができる会場が増えてきているような。

もしかしたら、自分が高知のよさこいを目指してやっているから、そう見えるだけかもしれませんが、実際高知だけではなく、東京や大阪のチームでも毎年高知に出ていて、そういう演舞をしているチームが有名になってきたように思います。

以前の記事でも書きましたが、僕はショーのようなストーリーがあって、演出が凝っている演舞、大好きです。
演劇やミュージカルみたいな演舞を、今でも作ってみたいです。

僕が思うに、今後、さらに新たなスタイルが生まれるんじゃないかと思います。
それを自分が作れたら、なお良いのですが!!
それらの融合で、よさこいがさらに盛り上がってくれたらと思います。


この先の願い

僕は、今、空~Qou~というチームで代表をやらせてもらっています。
16年間色々ありました。
実は10年目を迎えるころ
「もう、今年で解散しよう!」
と、決めていました。
それぐらい9年目がつらかったんですよね。
あっ、辛さと同じぐらい喜びもありました。
でも、11年目に高知のよさこい祭りを目指すと決め、ほんとに高知よさこいに参加したときに、一気に自分のよさこい観、いや「人生観」が大きく変わったんです。
もうなんというか、一回生まれ変わったような(笑)
そんな思いをさせてくれた高知よさこい祭りには、心から感謝しています。

でもそれは、今考えると、僕によさこいを始めるきっかけをくれた

「YOSAKOIソーランまつり」

があったから、空~Qou~があり、今の自分があります。

「にっぽんど真ん中まつり」

に参加させてもらい、賞を目指し、その結果、素晴らしい経験をさせてもらったから、高知に参加したときにそれとは違う感覚があり、人生観が変わる経験ができたんです。
もし、その二つのお祭りがなければ、空~Qou~は当然存在していなかったし、僕もどうなっていたのか…。
(過去記事参照)

よさこいは、言ってしまえば趣味です。
でも、僕はたぶん趣味だと思っていないです(笑)
えっ?じゃあなに?仕事?

いえいえ、そんなんじゃないです。
なんと言えばよいのかわからないのですが…

たぶん、言葉で書くと誤解されてしまうので、書きづらいのですが、簡単に言えば
「自分の存在意義
かな?
人生の半分をささげたら、そうなりますよね。

僕は今、いろんなビジョンを考えています。
それを、ともにやっていけるであろう信頼できる仲間もいます。

新型コロナで、エンタメ界はかなり冷え切っています。
しかし、こういう状況って逆にわくわくしませんか?
さて、何がとびだすかな!!

今回は、脈略がない文章ですみません。
また、次回を楽しみに!
バイバ~イ!!





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