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もう25年もやり続けている「競技ダンス」をあらためて考察してみた件

現役の競技選手でもある私達は競技会で踊る時、通常は「良いダンスをすれば成績はついてくる」というスタンスで試合に臨んでいます。

しかし先週の競技会ではあえて「何が何でも勝つ」ということを意識して準備段階から試合に取り組みました。

それが正しいか間違ってるかはともかく、今までと違う取り組みをすることで、新しい自分、さらには新しい2人を作り出す契機になると思ったからです。

競技会は順位を競うものであり、否応なく成績がついて回ります。
ですので、選手達は1つでも上の順位を目指して闘争心をむき出しにして踊ります。

そういう意味では「何が何でも勝つ」というのは正しいのかも知れません。

しかしながら、そもそもダンスって競うものでは無いんですよね。
 

もちろん技術的な優劣はあるにせよ、ダンスは踊る人の個性が反映されるものであって、観た人がそれぞれに好き嫌いを選ぶものだと思います。

でなければチャンピオン以外のダンスは価値が無いことになってしまいます。

でも実際にはそんなことはなくて、5位とか6位の選手、さらにはその下の選手にも必ずファンがいるもので、そのファンの方々はチャンピオンよりも自分の好きな選手の踊りに価値を見い出しているのです。

社交ダンスの人口を増やす為に今のような競技ダンスのシステムが取り入れられ、実際に世界中に多くの選手やファンがいるのだからそれはそれで成功しているし、競技ダンスがなければ私もダンスを始めていませんでした。

しかし、ダンスを始めた当初からやはりこのシステムには何となく違和感があったし、勝ち上がる図式を作ることで「勝つ為のダンス」が主流派を占め、多様性を奪っていることも否めません。

ダンスとはもっともっと自由で良いのではないかと思います。

ちなみに私達のダンスはまったく主流派ではなく、昔からよく「変わってるね」とか「勝つのは難しいよ」とか言われてきました。

しかし私達は主流派のダンスにはまったく魅力を感じなかったので、今日まで自分達にしか出来ないダンスを追求してきましたし、これからもそうであり続けると思います。

例えそれが競技会で勝てるダンスではないとしても。

「じゃあ何の為に競技会に出るのか」ということを考えた場合、答えは

『一番てっとり早くたくさんの人達に自分達のダンスを観てもらうことが出来るから』

に他なりません。

ということは踊れさえすれば、それは競技会じゃなくても良いということです。

ですから、もし私達が競技選手を引退したとしても、パーティーやデモンストレーションで踊る機会がある限り踊り続けていくでしょう。
(多くの競技選手は引退した途端に踊らなくなります)

いや、観てくれる人がいなくても私達は踊り続けるかも知れません。

なぜなら私達にとってダンスは、勝つ為の手段ではなく、自分を表現する為の手段なのだから。




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