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フィレンツェから熊本へ


KUMAMOTO SIAMO CON VOI
(2016年6月執筆)

 たしかに、暴動や抗争も他の危ない行為も絶えない彼らなので致し方ない面もあるとはいえ、その過激さゆえに普段は一般の人々から忌避される「ウルトラー(=Ultrà:スタジアムのゴール裏に結集するティフォージ軍団)」は、屈強な体に刺青をガッツり彫り込んだ彼らの風貌は間違いなく超のつくド迫力なのだが、実のところはといえば、直に話をしてみるとこれがもうほんとうに心の優しい男たちなのである。

 複数の派閥からなるフィオレンティーナのティフォージ組織の中にあって、フィレンツェの街で最も貧しい地区にルーツを持つ組織のボスである“ティノ(通称)”もまた、ほんとうにどこまでも熱く優しい心を持つ男だ。

 そのティノが、あれは5月9日のこと、面識すらなかった私の携帯を鳴らしてきた。聞けば、ティノは私の親友(名はアウレーリ)と会社の同僚にして大の親友だという。
 やたらとドスの効いた声で彼は私にこう語りかけてきた。


 「tak(私のイタリアにおける愛称)、実はな、昨日の試合(5月8日の「フィオレンティーナvsパレルモ=セリエA第37節」)で掲げようと思ってな、割とデカイ横断幕を用意していたんだよ」
 

 なんのことかさっぱりわからずにいると、ティノはこう続けた。


 「アウレーリから聞いてたんだよ。お前の大切な故郷クマモトが地震で深く傷ついてしまったって話を。なので、この俺だって故郷フィレンツェを死ぬほど愛する一人だからな、お前が故郷クマモトの今の姿にどれだけ心を痛めているかわかるんだ。それに、なんといっても、故郷の大切な家族や友人や街の人たちがどれだけ辛い思いをしているのか・・・、考えるだけでもう涙が止まらなくてな。それで、俺の仲間たちに話したら、それならば是非とも応援のメッセージを送ろうってことになったんだ。この俺たちにはそんなことしかできないんだが、せめてフィレンツェのスタジアムからKumamotoへ、遠く離れているから届かないかもしれないけど、この俺たちだって心を寄せているってこと伝えたいと思ったんだよ」
 「そして、聞いたよ、お前たちの街にはものすごく綺麗なカステッロ(城)があって、だがその大切な宝物が甚大な被害を受けてしまったってことも。
 雄大なAso(阿蘇)も、そのテンピオ(神社)までもが深く傷ついてしまったってことも。
 その話を聞きながら思ったんだ。もしもフィレンツェの大聖堂や鐘楼が、あのトスカーナの丘陵地帯が傷ついたら俺たちの心は一体どれほどの痛みと悲しみに苛まれるんだろう・・・と。そしたらもうなんだか涙が止まらなくなったんだよ」

 彼の野太い声が震えるのを受話器越しに聞きながら、そのティノと仲間たちの優しさに私もまた涙をこらえることができなくなっていた。
 「ありがとうティノ」
 その一言を発することしかできずにいると、「泣くなよ!」と優しく怒鳴りながらティノはこう続けた。


 「でもな、残念なんだが、昨日のスタジアムで、その横断幕の持ち込みを警察に阻止されちまったんだよ。何が書いてあるのかさえ見ずに。なにせ俺たちと警察はもう何十年にもわたり互いを憎しみ合う間柄だからな、昨日、スタジアムの入り口で大喧嘩だよ。試合開始ギリギリまで説得を試みたんだが、あいつら、とうとう最後まで持ち込みを許可しなかったんだ」

 そして、ティノはさらにこう続けてきた。


 「でもな、せっかくこうして俺とお前が知り合ったというか、まだ会ってもいないんだが、とにかく仲間になったんだから、今度の5月28日に俺たちティフォージ組織すべてが集まって打ち上げ(フェスタ)をやるんでよかったら来いよ。みんな子供らを連れてくるんで、お前んちのチビも連れてきなよ。
 場所はカンピ・ビセンツィオ(フィレンツェ近郊)の広場。俺の仲間たちもお前と会いたいって言ってるんで、待ってるぜ」。

 28日は仕事だけでなく別の予定も入っていたが、速攻ですべてをキャンセルした。ここまで言ってくれるティノの誘いを断ることなんてできなかったからだ。

 そして5月28日。本物のウルトラー軍団が結集するその大きな広場へ向かうと、まさに大迫力な男たちが数百人、まだ午後3時を過ぎたばかりだというのにもうビールを大量に飲んだ彼らの大半は完全に目を充血させている。フィオレンティーナの応援歌が響き渡っている。憎っくきユベントスを罵倒する歌声もあちこちから聞こえてくる。タバコではないであろう匂いとその煙が辺りに漂っている。
 そんな中で、たまたま居合わせた若いがいかにもティフォージの風貌逞しい若い衆に聞くと、事前に命じられていたのだろう、まるで重要な任務を与えられた兵士のような機敏さで各派閥の“ボス”たちがいる場所まで案内してくれた。

 そして遂にティノと、すべての派閥のボスたちと対面。強烈な握力で右の手を握り、紫の紋章が彫られた太い腕でがっちり抱き寄せるとティノは「よく来たな、待ってたぜ」と満面の笑みで仲間たちに私を紹介してくれた。
 そして様々に語り合いながら4時間あまりが過ぎたところで、ティノとその仲間たちは、なぜか申し訳なさそうな表情で『もうシーズンは終わっちまったんでスタジアムで掲げることはできなくなったんが・・・』、そう言いながら、あの横断幕を掲げてくれた。

 「今日、これを是非ともお前に渡したくて誘ったんだ。よかったら記念に持っておいてくれよ」。

 横断幕を私にプレゼントしてくれた。
 
 あの地震から2ヶ月。あれだけの被害を受けながらも熊本の人々は懸命に前へ進もうとしている。私の友人たちも信じ難いまでに気丈に振舞っている。だが、その心の内は、収まりつつあるとはいえなおも続く余震への不安に苛まれ続け、まだまだ長く険しい復興への道のりに対する半ば絶望的な思いや焦燥を募らせながら、何より、この2ヶ月で蓄積された心と体の疲れはもはや限界をはるかに超えている。
 しかし、それはおそらく物理的な問題でもあろうから致し方ないとはいえ、被災地とそうではない場所の温度差は日を追うごとに確実に大きくなっている。

 だからこそ、熊本から1万キロ離れた場所で書かれたメッセージを届けたい。フィレンツェの熱いティフォージたちはこう書いてスタジアムに掲げようとしていた。


  KUMAMOTO SIAMO CON VOI
 (KUMAMOTO WE ARE WITH YOU)

 6月13日、ティノは今日もKUMAMOTOの様子を気遣い、「明日でちょうど2ヶ月なんだよな・・・」の書き出して私にこんなメッセージを送ってくれている。

「Firenze è sempre con Kumamoto(フィレンツェはいつもクマモトと共に)」 ■

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