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配信者とリスナーの分断

最近私がボソッと呟いた話で、「リスナーじゃだめで配信者にならないといけないんじゃないか」という意見がありました。

「人権ない」とか強い言葉を使ってしまったので、心配してフォローの言葉を頂いたのですが、何かあるひとときで嫌な思いをしたとかではなくて。このとき感じていた気持ちをもう少し詳しく書きたいなと思ってこの記事を書きました。

ここで話題にしているのは主には配信アプリREALITYでの話です。

配信者とリスナーの構造

規模の違いはあれ、配信者はスタアであって高嶺の花のような存在です。一人の配信者に複数のリスナーがつくというのが基本構造です。

配信者とリスナーの構造

有名配信者になるとこの構造で、何万人ものリスナーが紐づいた構成になりますね。

REALITYのユーザーは、配信者とリスナーが明確に区別されません。配信者もリスナーもあくまで1人のユーザーです。枠を開けば配信者の役割。枠に入室すればリスナーの役割として振る舞います。

誰かの枠に入ればリスナーなのですが、実際のところは「おおっ!今入室したリスナーは有名な配信者だ!」となると、その関係性は「配信者ーリスナー」とはちょっと異なるとおもいます。

この関係性を「神々の交流」と呼ぶことにします。

配信者どうしのコミュニケーション

配信者が、リスナーとして枠に来て枠主と会話しているときに、今までいたリスナーが急に大人しくなって空気のような存在になることってありませんか?

これは配信者同士のコミュニケーションに対して、リスナーは「俺達の出る幕がない」というキモチになってしまう状態です。

私はこの「神々の交流」見て、口を出せなくなってしまうのが虚しくつらいのです。打破したいという気持ちがあります。

配信者しかわからない気持ち。配信してみないと分からない気持ちがあります。それはそうです。立場が変われば体験も変わるので配信してみないとわからない感情があります。

でも「君たちリスナーには配信者の気持ちは分からないんだよ」と思われるのは、配信者とリスナーの分断を生むことになってしまい悲しいです。

リスナーとして振る舞いながらも、振る舞いの違いでしなかない。対等な関係でありたい。配信者の気持ちもわかるしリスナーの気持ちも知ってもらいたいです。

そんな中からつい出てしまった言葉がこのXのポストでした。

Nリスナーの1人からの脱却

「神々の交流に加われない」、「たくさんいるリスナーの1人」でいることに虚しさを感じるので、ここから抜け出したいと思うのは自然な感情でしょう。じゃあどうしましょうか?

To be 配信者

真っ先に思いつくのが「ワイも配信者になればええやん」という考えです。当たり前の発想ですが、なかなか難しいことです。それができるならば初めからしています。

最初にあげた構造の「1配信者ーNリスナー」という構造は変わっていないので、自分が配信者側になっただけで本質的な問題は変わっていません。憧れの配信者と同じ土俵に上がる茨の道でもあります。

配信は、大変な、大変な努力大きな気苦労があるのは誰もがわかっています。精神面でボロボロになりながら継続した配信を頑張っている人もいます。軽い気持ちで配信者になればいいんだと始めても、大変さの覚悟をもっていないと神々の交流に加わるような成功は難しいです。

ただ、配信をすることで配信者の気持ちもある程度理解できるようになります。「あなたに配信者の気持ちはわからない」と言われたときに少しは反論できるかもしれません。

一目置かれるリスナー

「1配信者-Nリスナー」という関係が虚しいなら、「1リスナー-N配信者」の関係を考えてみます。

1リスナー-N配信者の構造

単に、たくさんの配信者をフォローしているのではありません。たくさんの配信者から慕われるリスナーになるということです。

どうやってそんなリスナーになるんでしょう?わかりません。
リスナーランキングだとか、そういったリスナーを評価するシステムはないです。

「応援ランキング」はリスナーを評価する仕組みの1つでしょうか。確かにそうかもしれませんが、でもこれはお金を使っただけであって、ある意味、注目する配信者もいるかもしれませんが、「たくさんの配信者から慕われる」とは少し違うと思います。お金だけの注目というのも虚しいですし。。。

2024/04/04追記:「リスナーを評価する仕組みがない」と書いてたら「サポーターバッジ機能」なるものがリリースされました。リスナーを評価する仕組みではあるんですが、かなりと課金重視なのでちょっと私が思っていたものとも違います。
1配信者-1リスナー間の応援であって他の配信者から見える評価でもないし。

まとめると

まだ答えはわかってないです。

でも、一目置かれて、いろんな配信者から慕われて、承認欲求を満たしながら、時には少しの配信もすることで、配信者の気持ちも理解できるリスナーになりたいですね。

そうしたら「神々の交流」を指をくわえて見ながら、なんとなく悔しい気持ちになることも減るのかなと思っています。

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