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『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んだ感想

読んだ。ただの感想で、本書で言うところの「情報」はこの記事には一切ない。

なかなか面白かった。日本人はずっと長時間労働をしているのも面白かったし、日本社会において出版業界の大当たりした戦略(円本とか)を知れたのはだいぶ面白い。

一方で後半、特に筆者の主張について、僕はあまりピンと来なかった。というのも、2010年代以降に対する筆者の捉え方と僕の捉え方が違うだけであって、筆者が間違っているわけではないと思う。


本書の主張は、(僕が乱暴に要約すると)労働で自己実現し自分の行動を変容させることが重要だとする社会においては、自分の知りたいことを即座に知る(=情報をなるべく早く仕入れる)ことが重要である。
したがって、読書のような自分の知りたいことに付属したそうでないもの(本書でいうノイズ)が付きまとうものは、労働者には好まれない。したがって働いていると本が読めなくなると主張している。

この主張は、自分の実感とは微妙に違うと感じた。

僕は本は読むが、あまり小説を読まないし漫画も読まない。めっちゃ分厚い資本論の解説書とか、世界秩序の変化に対処するための原則みたいなものものしいタイトルの本は読む(理解しているかはさておき、少なくとも開いて文字を全部追っている)クセに、世間一般のエンタメはからっきしである。

映画は年に数回映画館に行く程度(この間、オッペンハイマーは見た)。NetflixもYouTubeもあんまり見ない。Podcastはやたら聞いてる。

SNSもそんなにちゃんと見ているわけでもない。いや、毎日開いているけど、だいたい自分と関係するビジネス関連の情報を読んでいるくらいである。最近だとAIが騒がしいなーくらいの感じ。


こんな感じなので、僕は日本のひとり労働者として本書が規定する存在とちょっと違う行動をしていると思う。

僕はたしかに労働者で、毎日ではないが長時間労働もたまにはしていたりする。

しかし、自己啓発書なら読めるわけではない(本書で自己啓発書は、現代の労働者が唯一読める書籍ジャンルとして出てくる)。この間、自己啓発書を読んでみたけどツッコミどころが多すぎて読むのをやめた(=読めなかった)。

一方で、僕は『世界秩序の変化に対処するための原則』をめちゃくちゃ自分ごととして解説を読んでいる。これこそ、明日の自分がよりよく生きるための「情報」として摂取している感覚であり、同時に自分にとってのエンタメでさえある。


あまり深く考える意味もないのだろうから結論に入ると、要するに僕の好みが筆者のいう「現代」の影響をあまり受けていないのだと思う。

そもそも、筆者のいう現代的なものに僕は無知だ。

例えば、僕はオンラインサロンに入ったこともないし、入らずにバカにしたこともない。その言葉を聞いたのは確実に2010年代後半だったと思うけど、5年以上たった今もどういう存在なのかいまいちよくわからないし調べてもない。

ひろゆきさんがこの世で持て囃されているらしいというのは何度も見聞きしているけど、僕自身は彼の肉声を大昔の「ビートたけしのTVタックル」という番組に出ていたのを見て以来一度も聞いていない。
その回は「あなたの感想ですよね?」といういまも使われている言葉が飛び出した回と記憶していて、調べてみたら2015年の放送らしい。つまり僕はこの10年弱、賛否わかれている(らしい)彼の言動を僕はこの目で見ていないようだ。

こんな感じなので、僕は筆者のいう「現代」的な価値観に全然ピンときていない。なんなら教養が「現代」でブームだなーとCOTENRADIOとかゆる言語学ラジオの台頭を目にしながら思っていたくらい(どう考えても認知バイアス)だ。

だから僕は本書にピンとこなかったんだろう。


でも実際にマジョリティは筆者のいう「情報」以外は遮断したい人なのだろうというのは数字を見たりしていると理解できる。そして自分もそういうモードのときはある(仕事中とか)ので気持ちはわからなくはない。

でもそもそも、人生って情報を得てうまく生きるゲームをするための舞台ではないという個人の思想はあるので、なんでもかんでもそのように振る舞いはしないかなと思う。

僕は労働をしているときの価値観や振る舞いと、私的な生活をしているときの価値観や振る舞いは別物を意識的に採用するようにしている。
手近なところでは会社で使っているツールはなるべく個人の生活では利用しないようにしている。
仕事中は結構「合理性」とか「言語化」とか意識するようにしているが、個人の生活はちゃらんぽらんで、そのときやるかと思ったことをそのままやるのを繰り返している(この記事の執筆もそのような動機で行われている)。

だからひょっとかして、僕が筆者の「半身社会」にピンとこなかったのは、すでにその生活を自分はやりたいと思っているし、自分にできるところからやっているからかもしれない。

最後に余計なひとこと。僕に日本社会の現代を語る資格はないなとこれを書きながら思った。もちろん語る気もないけどね。


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