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現状を変えるのは圧倒的努力のみ
皆さんこんにちは
本日は東京都知事選ですね
これまでの政治に無関心のムーブが大きく変わってきました
そんな私は8年後に鹿児島県知事選に立候補しようと考えていましたが、沖縄県知事選立候補者との出会い、昨今世間の政治熱を受けて、次回立候補しようかと考えてもおります。
はい、今日のテーマは"現状を変えるのは圧倒的努力のみ"
何でこのテーマにしようと思ったのはスピッツの歌を聴いて昔の私を思い出したから
実に幼稚な動機ですが、最後までお付き合いください
2005年
当時18歳の田島青年はJFEスチール東日本地区千葉製鉄所にて協力企業の株式会社メガテックの正社員
現業職工員として、スコップ、ツルハシが相棒の土木作業員でした。
政治になんて無関心
一番嫌いな分野は歴史
未来の希望なんてなく、先輩たちを力でねじ伏せてやろうという野蛮人でした。
それからJFE電磁鋼板への出向、三菱商事グループへの転職
俺もやれば出来る男と確信を得て
2021年10月
個人事業主として鹿児島で独立しました
最初の転機は19歳で出向したJFE電磁鋼板での鬼怒川温泉旅行でした。
私の所属は株式会社メガテック
いわゆる下請けからの逆出向でした
他所者の私は仕事では完全に孤立していました
本当に行きたくなかった
でも私の現場での唯一の味方であった千葉工場の折笠工場長に「いいから来なさい、自分から現状を変えなさい」と金言をいただき勇気を振り絞り参加
日中はいつものように蚊帳の外で寂しく独りぼっち
何で参加したんだろう…
でも
その旅行の夜の宴会で運命の出会い
その出会いは当時JFEの本部から出向していた小林健明さん
現場社員からいじめられていた独りぼっちの私は勇気を振り絞り、社長付きの部長として出向していた、超格上の小林さんに声をかけました
普段は本部にいて遠くから見るだけの眩しい存在
本当に怖かったけど、不思議と小林さんに何か似たものを感じました
小林さんは下請けからの三下の私を優しく受け入れてくださいました
そこで小林さんも努力でコツコツと道を切り拓いたことを知りました
その感動を胸に後日、小林さんが宴会の席で好きと言っていたウイスキーの山崎をプレゼント
私は気持ちを切り替えて努力しようと決心
さっと別れを告げようと思っていました
山崎を受け取ってくれた小林さん
しばしの静寂
小林さんはあまりにも勿体無い言葉を投げかけてくれました
「こんな貴重なものをいただいて嬉しいよ。今度飲みにいこう」
それから月に1度JFEスチール、商事グループの役員陣と飲みに行く日々が始まりました。
毎月宿題をいただき必死に努力を積み重ねました
新聞を読みなさい、本を読みなさい、人に伝えなさい、誰よりも勉強しなさい、愚痴は言うな、彼女を作れ
より多くの情報に触れるために図書館に通う週末
徐々に現状が変わっていくようになりました
塞ぎ込んでいた性格はなくなり、戦闘民族のように暴力で現状を変えていく弱い自分から抜け出せるようになりました
23歳で鹿児島に帰る決心
小林さんが送別会を企画してくださり、心のこもった手紙とタイピンを私にプレゼントしてくださいました
あれから14年
港区で経営者として活動するまでになりました
多くの方に支えられてきましたが、小林さんとの出会い、優しさがなければ、いまの私は存在していません
なぜ私が政治家になりたいか
昔の私のように前途洋々な若者が失望しない世の中を作りたいからです
それは経営者でも出来るかもしれません
でも鹿児島が生んだ稀代の天才経営者の稲盛和夫様でも変えることはできませんでした
夢と希望があれば若者は必死に努力して、未来に向かって走っていけます
大人が無責任に努力しろ、頑張れというのは簡単です
そこに責任がないから
経営者として1人でも多くの社員を雇い若者にチャンスを提供すること
あまりにも力不足で打ちひしがれる日々ですが、18歳の田島青年を思い出し、必死に努力することしか考えておりません
自分に期待して圧倒的努力
コツコツと積み重ねていきましょう
はい、今日はこれにて終わりたいと思います。
ありがとうございました。
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