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屈辱と学び

今日は初めて味わった屈辱感と、そこから、そこから得た学びというテーマで話していきます。

はい、早速始めていきましょう!

私はですね、ずっと中学、高校と野球をやっていました。
中学校の時はね、どちらかというと遊びで、そんなに悔しい思い出はないんですけど、

高校になってから結構一生懸命やってました。

エースなりたいっていう思いがあって、外野手というポジションにいたんですけども、ピッチャー目指して一生懸命頑張っていました。

とにかく休みなく、人の倍走って、人の筋トレ2倍ぐらいやってました。

そのぐらいやっても、やっと人並み。

当時はすごい体弱くて、全然いまみたいに頑丈なタイプではなかったんです。

とにかく一生懸命食べて、筋トレして、一生懸命頑張ってました。

やっと高2の半ばぐらいから、 そこそこできるようになってきて、練習試合でも打率3割ぐらい打ったりとか、ピッチャーとしてもぼちぼち成績出せるようになってきました。

内野にコンバートしてくれればチャンスが増えるぞ。

と言われることも多かったですが、ピッチャーとライトへの憧れは捨てられませんでした。

エースは中学校の時、軟式では有名だったピッチャーで、高一の夏からローテーションの一角に、ライトには福留孝介さんを輩出した鹿屋ビックベアーズでレギュラーだった同級生で高一の夏からレギュラー。

どうしてそんな人に勝てるんだと思ったのかっていうぐらい、そこのポジションにこだわってました。

でも最後までレギュラーにはなれなくて、正規のポジションは監督の伝令、後輩指導役、グラウンド整備。

公式戦ではランナーコーチにも出してもらえない裏方さんでした。

1番悔しかったのが最後の夏ですね。

最後の夏っていうのは、やっぱり出たいんですよね。

その日もずっと監督の伝令という役目で夏が終わりました。

本当に悔しくて、なんのために野球やってたのかな、俺の3年間は何だったんだろうと無気力でしばらく過ごしていたことが昨日のことのように蘇ってきます。

ずっとグラウンド整備ばっかりして、後輩には馬鹿にされるし、あんまり野球では良い思い出はないですよね。

大学推薦辞退も重なり流されるままに、野球部の監督の推薦で入った、千葉の会社に就職しました。

初めての職場が、土木作業する現場でした。ここで1年間ぐらい、道路工事とか、建設工基礎打ち、溶鉱炉のメンテナンスなど色んなことやったんですが

いま思うと、よくあんな仕事したなってぐらい、きつい仕事でした。

危険、汚い、暑い、とても厳しく指導されたのですが、野球よりは楽勝でした。

初めて給料もらった日、この日は信じられないくらいの喜び。

こんなんでお金もらえんだと、当時は手取り8万円ほどだったんですけど、すごく嬉しかったのを覚えてます。

仕事って頑張ったら報われるんだなと。

野球はお金払って一生懸命に頑張っても全然報われなかった。

レギュラーの背番号もらって試合に出れないゴミみたいな扱いの高校生活。

社会人になったらお金っていう成功体験が得られるんだと思ったんですね。

そっから一生懸命に仕事にハマりすぎてですね、 21から22の間って記憶ないんです。

何してたか全然覚えてないです。

人生の中で。
そんぐらい記憶がないぐらい一生懸命頑張って23歳の時は体ボロボロになっちゃってやめちゃったんですけども、すごい良かったなと今では思います。

そこから学生を経て、優良企業に就職し、結婚もし、家も車もローンなしで一括払い。

順風満帆な人生から一転…紆余曲折あり

約3年前に独立。

独立した時すでに固定30〜50万円の収入があって、家のローンも、車のローンもない。

でも月収100万円は見えなかったですね。

当時はチームで仕事してましたんで、チームの子に全部渡して、東京に出てきました。

1年間は本当に苦しかったですね。

家賃が払えなかったりとか、 人にお金騙されたりとか、一生懸命仕事頑張ったのに報酬もらえないとか、そんなことが1年間ずっと続きました。

貯金もなくなって、 もうどうしようかなっていう状況になったときに、今の株主に拾われたんですね。

捨てる神ありゃ拾う神あるんだなと。

何で誰が見ても酷い状況でも踏ん張れたか、頑張ってこれたか、やっぱり高校の時から23歳までの屈辱です。

あれからしたら全然大したことないなって思うんです。

皆さんも辛い時、悲しい時、苦しい時

絶対あると思うんです。

でも必ず報われる瞬間が来ます。

それは人から見た成功じゃなくて、自分の中の喜びです。

だから、ちっちゃい喜びをいつでも噛みしめる練習をしてください。

いつでも頑張れるようになりますし、心なんて折れないです。

俺はできる!俺にしかできない!絶対成功する!この思いだけで頑張ってみてください。

私もですね、とにかく 政治家になるまではどんなことがあっても心折れない。

政治家になって鹿児島を良くする!この目標だけを夢見ています。

なので60歳ぐらいやっと

俺って頑張ったんだなって思う日が来るのかなと思うんですね。

それまでは日々鍛練だと思ってます。

皆さんも昔のこと大変だったけど、報われた瞬間ってあると思うんですね。

それを思い出して、今の自分に照らし合わせてみてください。

今日はこの辺りで終わりたいと思います。
ありがとうございました。

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