日本のハリウッド京都の寂しさ

小学生の京都修学旅行の人気は、金閣寺、清水寺、太秦映画村だそうである。わびもサビもない如何にもな人気である。

私も高校時代の修学旅行で、太秦映画村に行ったときは、神社仏閣にはない華やかさを感じ楽しんだ記憶がある。子供だとそうなる。

なんで広隆寺のお膝元に映画村があるのか?
その後この街には、松竹、大映などの撮影所もあったと知り、なぜ京都が日本のハリウッド化したのか軽く疑問だった。

ググってみたが、土地があったから、という汽車も電車もみなとまる説明がありとても納得できなかったのだが、最近その訳を知った。

映画勃興期の頃、牧野省三(長門裕之、津川雅彦のおじいちゃん)、田村正和のお父さんなと、当時人気の俳優は、みんな京都に映画スタジオを作った。確かに土地があった、のはそうだろうが、実はこの時期に関東大震災があったのだ。この地震により、例えばバンドマンはミンナ関西に行き、服部良一の活躍の場が作られたのと同じように、この大地震で、京都に撮影所ができたようなのだ。もし、この震災がなければ、日本の映画シーンはちょっと変わったのもになったのかもしれない。

そして映画時代、作ってはヒットのような美味しい時代が続き、京都の花街も映画関係者で賑わったそうだが、無理もあったんだろうな、突然テレビが現れそっぽを向かれ始めた。斜陽産業になり始めた。

そこで岡田茂が再利用のアイディアを考えたとき、そもそもニーズがあった映画スタジオの見学というユニバーサルスタジオのようなことを始めて人気が出た。大阪のユニバーサルスタジオは、映画を取ってる現場ではないけど、ここは確実に映画を撮っていて、まさに映画に飛び込む楽しみがあった。時代劇で見たような、街の隅の堀だったり、長屋横丁だったり。僕が子供の頃は、kbs京都のラジオの公開放送まであった。

ところがいつの間にかテレビの番組表から時代劇が消えた。スポンサーは
お年寄りより若者へシフトした。
しばらくは、おみやさん、2時間ドラマサスペンス。沢口靖子の刑事モノなど、東映松竹の京都物は支持された。片平なぎさ、名取裕子など、2時間ドラマ長者を産んたが、それも飽きられ、沢口靖子のドラマも終わるらしい。時代劇のみならず現代劇もなくなり、京都映画は風前の灯だ。最近はネットフリックスのドラマが撮られているらしい。時代の変化ですねー。

ちなみにおみやさんは原作では東京の話になっているが、京都にテレビでは移されているのは、京都製作所を使うためだったのだろう。最近封切りされたなぜ今頃の司馬遼太郎の燃えよ剣も、京都で映画業界を救済するための企画、との記事を読んた

祇園の街で芸者遊びをする映画関係者もなく、2時間ドラマの女王は、ダウンタウンDXにゲスト出演が仕事になってる。まぁ、すぐに飽きられるだろう。テレビをほんとに見てるのはお年寄りなのに、20代女子狙いになり、おとしよりはみるものがなくなって、BSで、かつての京都撮影所制作のサスペンスドラマを見てるのか、うまく行かないものである。ところで時代劇を見る機会も小学生にはないわけで、修学旅行の目的地に映画村というのも、神社仏閣を見学するような古臭いものになっているのだろう。

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