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【書評】 前田健太郎 『女性のいない民主主義』 岩波新書

本書の問い

 著者は初めに、日本の政策及びその決定過程、またそれらを分析対象とする「政治学」などの多くが男性中心に構成されていることを指摘している。本書では、全体を通して、政治学の主流学派の学説を取り上げて、そのジェンダー的偏りを述べている。したがって、本書は政治学分野においていかに女性が軽視されてきたのかを解明することを目的に書かれている。以下、章ごとに本書の内容を紹介していく。 

論旨の展開

1章 政治とは何か 

 1章では、政治学における「政治」、「権力」の定義を取り上げ、以下のように指摘をしている。「政治」の定義は「共同体の構成員の話し合いを通じた、共通の利益を目指す活動」が定説である。また、「権力」の定義については「共同体の構成員に対して、彼らの意思に反することを強制する力」が主流である。しかし、「政治」、「権力」の定義にある「構成員」の中には男女平等性の観念が含意されていない。実際には、権力内部の多数が男性である。確かに、現在では役職を性別によって制限することは法的に禁止されている。しかし、法律とは別個に、「男性が話し手で女性は聞き手である」というような固定観念いわゆる「ジェンダー規範」による障壁が女性の社会進出を妨げている。また、そういった問題は政策決定過程において女性が少ないため「争点化」されてこなかった経緯がある。

 2章 民主主義の定義を考え直す

  2章では、民主主義の定義について以下のように指摘している。シュンペーターは「政治指導者が競争的な選挙を通じて選ばれる政治体制」、ロバート=ダールは「市民に普通選挙権を付与し、複数政党によって競争的な選挙を実施する制度」とそれぞれ民主主義を定義している。そうした定義に基づき、「どの国が民主主義国であるか」を評価する「ポリティ指標」や「ポリアーキー指標」が生まれた。しかし、それらの民主主義の定義には男女の平等性の言及がなく、男性だけが有権者であっても民主主義と認定できると指摘している。他方、そうした中で真に男女平等政策を実現するためには、女性の意見を反映する議員つまり「描写的代表」を議会に送り込むことで、女性の存在を示す「存在の政治」が重要な鍵になると述べられている。 

3章 政策は誰のためのものか 

 3章では主に、福祉国家政策を取り上げ、以下のように指摘している。福祉国家とは資本主義の下で労働者を経済的リスクから保護するために「脱商品化」することである。しかし、福祉政策において「脱商品化」されているのは男性労働者のみである。そのため、女性は男性の収入に依存し、家庭に閉じ込められている。そして、「福祉レジーム論」という福祉国家についての主流の学説もその視点が欠けている。その文脈から以下の二つに福祉国家を分類する「フェミニスト福祉国家論」が提唱された。第一に、福祉の受益者の代表は男性である「男性稼ぎ主モデル」。第二に、家族を想定せずに、対等に個人が福祉を受益できる「個人モデル」である。男女平等政策を実現する方法として福祉にジェンダー的視点を導入することが挙げられる。しかし、福祉政策は一度制度設計をすると縮小するのに反対運動が起こり、変更しづらいという「福祉の経路依存性」があり課題は多い。また、福祉政策の決定に影響を与える利益集団などのアクターも男性が中心である。そのため、利益集団にも女性を進出させるには、女性平等政策を統括する行政組織「ナショナル=マシーナリー」の設置などが重要であると最後に指摘している。

 4章 誰が、どのように政治家になるのか

  4章では日本政治においてなぜ女性議員が少ないかを以下のように述べている。日本において投票者の総数の男女比は等しいが、女性議員は少ない。有権者は非合理的に、ジェンダー規範に基づいて有権者が投票行動をしていることが要因であると考えられる。また、問題の根底には政党が女性候補者を支援せず、女性候補者が少ないことが挙げられるとしている。その解決策として以下のように提言している。「政党は極端な政策を避け、他党と類似した政策を掲げる」という「政党間競争」の理論に基づいて、野党が積極的に女性候補者を擁立することで、与党に圧力をかけることが有効的である。また、クオータ制度には「リザーブ議席」、「政党クオータ」、「候補者クオータ」の三つがあり、世界100カ国が導入していることから検討する価値があると述べている。 

本書の評価

  著者は本書の中でジェンダー規範の根底にある価値観として「本質主義」と「構築主義」を挙げて以下のように分類している。「本質主義」とはジェンダー格差は生物学的に規定された男女の役割であるという主張のことを指す。他方、「構築主義」とは男女不平等は人類の歴史において構築されてきたという考えのことである。そのため、保守派と革新派の間にはこの価値対立という深い溝があり、議論が錯綜していると著者は指摘している。これは、ジェンダー規範をめぐる論争の根本的な問題点を提示しているのではないか。今日、ジェンダー問題について、インターネット上で保守的、革新的なユーザー間で激論が交わされていることが散見されるが、こうした根本的な価値観の対立があるから両者は妥協もしくは歩み寄りができないのではないか。ただ、自民党総裁選の候補が男女比で見れば等しくなっていることからも、男女不均衡に関する問題提起はある程度、社会に受け入れられているのではないだろうか。今後の動向に注目したい。