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(小説)笈の花かご

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この物語の主人公は、帷帳登子。 ある日、主人公が、ヒヤリとする出来事に遭遇したことから、トバリが開く。そのトバリの奥から、「アレマア、オヤマア」と、驚きあきるばかりに、老いの数々… もっと読む
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#シニアライフ

(小説)笈の花かご #1

はじめに この物語の主人公は、帷帳登子。 ある日、主人公が、ヒヤリとする出来事に遭遇したことからトバリが開く。そのトバリの奥から「アレマア、オヤマア」と驚きあきるばかりに、老いの数々が怒濤の如く吹きだして来る。 帷帳登子は、高校の古典の先生が出席名簿を、イチョウと、読みあげて以来イチョウの通り名で呼ばれている。 24歳で、水田芸と結婚して、帷帳登子は、姓が変わるのだが、周囲の人々は、変わらず、イチョウと呼ぶ。 笈の花かごでは、イチョウとスイデンと、夫婦を分けて呼び、物語が

(小説)笈の花かご #38

16章 モクレン館食堂の席替え(1) モクレン館4階の食堂には、5階と4階の入居者が、1日3回の食事と3時のおやつの時に集まる。このひと月余り、イチョウは、夫婦用2人掛けテーブルで、前方の空席を見詰めながら食事する日々を続けていた。 「イチョウさん、そろそろ皆さんとご一緒のテーブルではどうですか?」 片口施設長がそっと席替えを促した。 (もう、スイデンはここにはいない) 「ハイ」 イチョウは頷いた。 5階の入居者の林田隼夫が、手厚い介護が必要になり、2階の居室に移った。そ

(小説)笈の花かご #33

13章 君が袖降る(1)これまでの話 イチョウのザワザワ病院での左膝手術、右膝は不手術で退院したの経緯は、これまで縷々述べて来た。 その後、左膝は順調に回復したが、残された右膝の痛みと、腰から来る左脚外側の夜間疼痛のため、イチョウは、手術後もザワザワ病院へ通う日々が続いた。 月2回、医師の診察と週1回のリハビリ通院を継続している。 浅澤医師は、診察の度に 「85歳までに、右膝を手術しましょう」 と勧める。 リハビリの担当は、ヨシキタPT(PT:理学療法士)である。 手術か

(小説)笈の花かご #36 #37

14章 万葉の世界へようこそ(2) 娘からの「多くの人が混同しやすい歴史上の人物」という記事を読み、疑いながら、ここでようやく、イチョウは、電子辞書の逆引きで「オオキミ」と打ち、ついに、2人を見比べることに成功、納得した。 更なる問題はこれまでに、半端な万葉の知識を話して回った事である。 (しまった! 正確でない話だったとは、これはまずい) イチョウは反省し、訂正して回るはめになった。 ところが、である。2度目のその話題となると、誰しも 「え、それがどしたん?」 とり

(小説)笈の花かご #35

14章 万葉の世界へようこそ(1)  (何やら落ち着かない) イチョウは、手を振られた直後、自分の部屋に戻っても、何やら落ち着かない気分で過ごした。目を閉じると焼き付いたその光景が浮かぶ。 (私の名前を呼び、手を振ってくれた人がいる。今までそんな事あったかしら) イチョウが、初めて万葉に触れたのは、田辺聖子・著 文車日記〜私の古典散歩* 。イチョウの脳裏に強く残っている。若い頃から好きで「古典講座~万葉集」等、これまで何度も学んだ。それだけに今日のお手振りと歌の光景

(小説)笈の花かご #34

13章 君が袖振る(2)モクレン館の自室にて (何やら落ち着かない) モクレン館の自室に戻り、何度も思い返した。 (私の名前を呼び、手を振ってくれた人がいる。今までそんな事があったかしら) 若い頃、好きで額田王を学んだ。 今は高齢になってしまったイチョウ。 (肝心の額田王に袖を振った人が、何という天皇だったか? 曖昧……) 袖振る場面は、アリアリと思い浮かべられる、しかし歌の詳細はどうも不確か。どうしても袖振る君が、誰であったか、思い出せない。 そこで、手持ちの電子辞

(小説)笈の花かご #2

序章 ヒヤリ体験⑴ 時は、平成の終わり。 次の年号はどうなるか、あれこれと取り沙汰されていた。 石川県のイチョウの暮らしは、何ごともない。 ごく平凡な日々である。 ところがある日、イチョウはヒヤリとする出来事に遭遇した。 晩春の黄昏時、イチョウは、電動自転車に買い物の品を満載して変則三叉路で信号待ちをしていた。 本線は平素、自動車の往来が激しいが、その時刻、車の姿は途絶えていた。右から入って来る道路は狭く、普段、滅多に車は通らない。 人影も絶えていた。 目の前の信号が、

(小説)笈の花かご #3

序章 ヒヤリ体験⑵ イチョウは、石川県に移り住んで以来、キョウダイ内科医院に通院している。 月1回、診察を受け、血圧の薬を処方して貰い、朝夕、服用している。 イチョウは当初、バスを利用して通院していた。 雪道の往復も平気であった。 キョウダイ院長は、イチョウの血圧を測った後に、毎回きまって忠告した。 「体重を3㎏、落としましょう」 イチョウは、院長のアドバイスを受けて1年がかりで3㎏の減量に成功したことがある。が、その時は、半年で元の体重に戻った。 イチョウはその後、減量を

(小説)笈の花かご #4

序章 ヒヤリ体験⑶ スイデンは、畑からの帰りに、坂道の下の所で右側の家の玄関に車を突っ込んでしまったのだ。 慎重に車がすれ違う道幅である。 上がって来た対向車のドライバーは、ずっと手前で左に寄って待っていた。スイデンは、空けてくれた所に向かわず右の方に行ってしまった。対向車のドライバーは、気の毒そうに言った。 「ブレーキとアクセルを踏み間違えたとしか言いようがない」 車の前の部分は大破したが、スイデンは、無事に運転席から脱出した。 突っ込んだ家の主は、畑友達で、自宅の破損

(小説)笈の花かご #5

1章 長崎への旅⑴ 鶴の港長崎、ふるさとへの旅。 (ふるさとの海は穏やかであろうか。山々は変わらず青く連なっているだろうか。友垣は穏やかに暮らしているだろうか) 久し振りの長崎への旅を前に、イチョウの思いは果てしなく膨らんでいく。 イチョウとスイデンの2人旅。 目的は、長崎の地で、老人ホームをみつけることである。 イチョウの両膝は疼き、外出には杖が必要となっていた。 イチョウは、これまで何回も、小松空港から福岡国際空港ヘ飛ぶルートで、故郷の長崎へ帰省していた。 福岡国際

(小説)笈の花かご #6

1章 長崎への旅⑵ 飛行機までは、バスによる移動で、杖をついて歩くことは避けられた。 しかし、イチョウは、バスの乗り降りに難儀した。 乗る時はスイデンがイチョウの腰を押した。 バスから降りる時は、スイデンが先に降りて待ち受けた。 これがつらい旅の始まりとなった。 小松空港の出発からしてモタモタであった。 福岡国際空港に到着してからのイチョウは、さらに難渋した。 スイデンがイチョウの旅行鞄を引き受けてガラガラと引っ張った。 イチョウとスイデンは、やっとの思いで見学を予約し

(小説)笈の花かご #16

4章 エレベーターは5階まで⑶ 5階のエレベーターホールで、2回目の転倒してから1ヶ月後、鴎イチロウは、歩行器と共に3階の居室へ転居となった。 3階の食堂にはヘルパーステーションが設置されていて、常時、介護職員が詰めている。 鴎イチロウの介護度が重くなったための転居であった。 4階の食堂から、鴎イチロウの姿が消えた。 (淋しいなあ……) スイデン夫妻は、彼のいたテーブルを、空しく眺めるばかりとなった。 が、イチョウは、3階にあるミニ図書室を利用する際に、鴎イチロウと会う機会

(小説)笈の花かご #17

4章 エレベーターは5階まで⑷ その後も、磯口すすむは、スイデン夫妻に会えば、「妻恋し」を繰り返し訴えた ある時は、妻が選んだというTシャツを着て、 「妻との思い出を着ています」と、涙ぐむこともあった。 磯口すすむの「妻恋し」は続いた。 「折々の法要をキチンと行い、残された人はしっかり生きて行くことが亡き人への供養になるのでは」と、イチョウは思う。 (どうしたものやら……) 磯口すすむは、その後も妻のことを語り続けた いつまで彼の繰り言を聞くことになるのかと、イチョウは、

(小説)笈の花かご #23

7章 ザワザワ病院⑵ 老人ホーム探しで、モクレン館が候補に挙がった時、イチョウは、モクレン館近くの医療機関をいくつか調べて記録を保存していた。 その中の1つにザワザワ病院があった。 手術を考えることになり、改めてザワザワ病院のホームページにアクセスした。 診療科目は、整形外科が主で、内科と救急外来がある。 股関節と膝関節の手術例が多数紹介されていた。 数年前に、3階建ての病棟を増築して、その1階部分がリハビリステーションのフロアーとなっている。 そこでは、10名の理学療法士