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2011のバックパッカー(その1)

小さい頃、インディ・ジョーンズを観て、考古学者に憧れました。

とはいえどうやったら考古学者になれるかよく分からず、そんな気持ちも心の奥に眠らせたまま高校、大学へと進学し、目的を持たない延命の果てに土日のオフも存在しないベンチャー企業に就職することとなり、流されるまま政治にまつわる仕事を任され、当時の私は永田町へ足繁く通っておりました。

今でこそ貴重な経験ができたと思えるのですが、当時私はライター志望で就職したはずの会社でコンサルチックな業務を任されたことの不満と、休みがないことのストレスをぱんぱんに溜め込み、先輩ともウマが合わず、3年目を目前に半ば飛ぶような形で辞めてしまいました(余談ですが2年ほど前に、その頃の不義理を謝罪しに会社へ行きました。10年経って、少しは大人になれたと思います)。

小さい頃からなんとなく思っていたのですが、毎朝スーツを来て時間通りに出勤するような仕事が私に務まるはずなかったんです。結局今でもアイドルの運営という社会の溝を歩くような仕事をしていますが、ちゃんとした会社員になりたいという気持ちと尊敬を常に心に抱いています。

そんなわけで、会社も辞めていよいよ自分と向き合い、自分に務まる仕事を探そうと思い立った直後、あの東日本大震災が起こって就職活動どころではなくなってしまい、必然私はニートになりました(ちなみにニートは34歳までの働かない人間の定義なので、今私が仕事を辞めるとスネップになります)。

外に出て遊ぶわけにもいかず、やることもなかったので朝から晩まで積まれていた本をひたすら読んで過ごしました。

特にその頃ハマっていたのが大槻ケンジさんと高野秀行さん。高野さんはノンフィクション作家で「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」ことをポリシーとしている作家さんです。

世界中(主にアジア)を飛び回って未知の動物を探したり、ゲリラと一緒にヤバい植物を育てたりしている高野さんの本を読んでいるうち、忘れていた情熱が蘇ってきました。

そうだ。
俺は世界を旅してみたかったんだ。

当時、2011年はネットも普及してずいぶん便利になっていたけれど、まだ今ほど世界は狭くなく、未知の要素が残されていたように思います。

そのほどよい不自由さが、たぶんなんとかなるだろうと、アジアの一人旅に出ようとしている当時の自分の背中を押しました。

さらに、私の想いに同調したエンジニア社畜の友人が力づくで大型連休を取得して、2011年の10月1日。

私たちは深夜、バックパッカーの聖地タイのカオサンストリートに降り立ったのでした。宿もとらず、英語も心もとない初めてのタイで、死ぬほどドキドキそしてワクワクしていたことを覚えています。

そしてその旅は、以降私の人生観を変えるほどのものになるのですが、その時はまだ知るよしもありませんでした。

初めてのタイ。何かが腐ったような酸っぱい匂いが風に吹かれて漂ってきて、日本との違いにドキドキしました。
徘徊する野犬が怖かったです。。
ぼろぼろでいつ感電してもおかしくない公衆電話。電線は町中色んなところで千切れてむき出しになっていたような記憶があります。
どこにでも犬が転がっていました。

(続く)

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