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国士舘高校卒業編

年始すぐにトレーニング等みていた後輩が選手権予選に出た。
仲間同士の潰し合いに敗れ、初戦敗退。
泣きながら勝てなくてすみません、と謝ってきたのを覚えている。
そんな謝罪はどうでもよくて、ただ一生懸命やってくれたことが、とにかく嬉しかった。
もう1人の後輩は、都大会を優勝して本戦に繋げた。そのもう1人が翌年の高校選手権を獲るのはまた先のお話。

卒業前バイトが許される時期があった。
家の基礎を作る職人の仕事をさせてもらった。
真冬なのに汗だくになりながら働いた。
仕事全体を体験的にやらせてもらい、すごく楽しい時間だった。
すき家のバイトもして、社会経験を積むことができた。
バイト代で両親にプレゼントした。何渡したか忘れたが、喜んでくれたことは覚えてる。

なんかかんやであっという間に卒業式。
謝恩会では、特進クラスの代表として卒業生挨拶を務めさせて頂いたりした。
特に言葉を用意することはなく段に立ち、なんとなくで話し始めたが、たくさんの思い出が走馬灯のように頭をめぐって言葉に詰まった。
「田嶋がんばれ〜」と声も聞こえ、涙を堪えながら最後は「国士舘最高です」で締め括った。
この記事の画像は担任の先生をお姫様抱っこしている写真。
中学から英語の先生で、6年間の自分を知る数少ない先生のうちの1人。
たくさん怒られもしたが、いつも応援してくれていた。

高校選手権チャンピオンということで、ブレーメンジュニアへの派遣があった。
海外遠征では、基本2人部屋。外出時なども、安全などの観点から2人以上で行動する様言われます。(特にジュニア以下では)
通訳兼案内係の方が試合終わりに近くの美味しい店に連れてってくれた。そこは、ギリシャ料理のお店だった。ドイツ料理じゃないんかいっ!
ホテルは、ベッド2つと洗面台、狭いシャワー室のみで、スーツケースを広げておく隙間も無いほど狭かった。
同部屋は筑波の先輩。
空いてる時間に、洗濯と散歩がてら街を観光した。これは海外遠征で試合以外の醍醐味。
食事が微妙だったので、近くのケバブを米の上にのせて食べるのが遠征メンバーの定番だった。

試合は寝技を中心に勝ち上がった。
ベスト8戦。相手がクロスグリップを取りに来た所を脇を差し返して対応した。しかし相手の力が強すぎて体が折れ曲がり、真っ直ぐ差したはずの腕が斜め下に伸び、腰の下に差す形になった。
当時は足持ち1発反則負けルールで敗戦。
敗者復活を勝ち、3位決定戦では何か忘れたがとりあえず負け5位だった。
この3位決定戦の相手とは世界ジュニアの2回戦で当たることとなる。

同部屋の筑波の先輩はとにかくすごかった。何やってもパワフルで、真面目だった。調整練習の投げ込みを受けた時に痛すぎて泣けた。その後、投げて良いよって言ってくれるのだが、戦意喪失して投げる気にならない。
1番さすがだって思ったのが、帰国日の早朝に1人でラントレしていた。

エピローグ。
帰国してすぐに引っ越し。
海外遠征中に両親がほぼ完了させてくれたため、移動するだけだった。
卒業時に後輩のご両親から帯を手紙つきで頂いた。
『田嶋先輩がいなかったらうちの子は辞めていたかも知れません。たくさん面倒を見ていただきありがとうございました』
こちらこそパシってごめんなさいと感じていたが、素直に嬉しかった。
その帯は今でも練習で愛用している。
高1年の時から、ファンだと言って応援してくれる後輩の母上がいた。弱い時から、ずっと応援してくれる人の存在は大きかった。
勝った時、自分の子供のことように喜んでくれた。
応援してくれて、喜んでくれる後輩もたくさんいた。
辛い事が多かった気もするし、結果の面でも大したものは残せなかった。けど、そんな事なんてどうでも良いくらい、周りに恵まれて幸せな6年間だったと胸を張って言える。

卒業編、完。

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