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筑波大学一年生編①

入学式。特になんてことはなかったけど、変な歌を歌っていた。
初のスーツや、全く新しい仲間たちにワクワクしながら、新生活が始まった。
まず困ったのは履修登録。
自分で必要な単位や受けたい授業を踏まえて時間割を作る。
分厚い本から必要なところを探すのが大変だった。全学群の授業があり、必要最低限の情報でいいのに、情報量が多すぎて探すのに困った。
モデルとしてはこんな感じで、ここのコマは選択必修です。くらいな感じにまとめてくれれば楽なのに、、、
同じ授業でも学籍番号の下一桁が奇数か偶数かで変わったりと何かとややこしかった。

入学した時は人見知りで友達が全く出来なくて、基本柔道部と行動していた。
一人暮らしはとても楽しかった。
洗濯は中高からやっていて何の負担にも感じないどころか、自分の洗濯機があって自由に使えて楽だった。
やっぱり洗濯機の待ち時間は無駄な時間だった。
自炊に関しても、母に教わったりとか真似することで、めんどくさいと感じることはなかった。
調味料をキッチリ計らずに目分量でやることだったり、形にこだわらずに適当に食材いれて火入れして、な母が見本だったから、ハードルが低くなっていたのもある。

6:00起床、弁当作成
6:40出発
7:00~7:40朝練
8:00帰宅、シャワー、朝食
8:40午前授業
11:25昼休み、道場掃除、昼食
12:15~16:30午後授業
16:45~19:00練習
19:30~20:40ウエイトトレーニング
21:00帰宅、晩飯、風呂洗濯など
23:00就寝
だいたいこんな感じの1日だった。

掃除を昼休みにやるため、家に帰る時間がなく弁当が必要だった。
朝練後は時間が無いため、早起きして作っていた。
コンビニで買う金銭的な余裕は無く、基本毎日3食自炊していた。
弁当の8割は親子丼に冷凍ブロッコリーを添えるだけだった。
朝飯は納豆ご飯と味噌汁だった。

晩飯の定番は豚玉炒め。
野菜はだいたい味噌汁にぶっ込んでいた。
じゃがいもだったり玉ねぎだったり。
冷凍ブロッコリーは常に冷凍庫に入れておいた。凝ったものは週末にしか作らなかった。野菜の不足分は青汁で補った。
一人暮らしだと野菜を使い切るのはなかなか難しかった。

外食は基本ラーメンの誘いの時だけ行った。
定食系は作れるじゃん、それに1000円は馬鹿馬鹿しい、と考えていた。
スーパーへは買うものもコースも決まっていた。
鶏肉、豚こま、卵、玉ねぎ、納豆、オレンジジュース、水、ヨーグルト、洗剤。
自転車でリュックを背負って行ってた。

大学4年間を支えてくれた、茨城県での父母の存在となってくれた人達がいた。
国士舘時代の後輩の両親なのだが、お米が無くなる度に米30kgと野菜を持ってきてくれた。
さらに食事にも連れて行って頂いた。
いつも心からの『頑張れ』をもらっていた。
返しきれない恩がある。

5月頭頃にさっそく試合。
茨城県の国体予選。
初戦が県警の選手で、それ以降は全部筑波の先輩だった。
決勝で四年生の先輩に敗れるもそれなりに良い試合が出来た。
団体戦へのアピールにも繋がり、関東学生のメンバーに入った。
(当日計量で50gオーバーしていて焦って走った笑)

関東学生に向けた追い込み期間が始まった。
朝練はラン中心からラダートレーニングや切り返しダッシュ系に変更。
練習の締めに『一分稽古』を入れる。
1分間全力で攻めたり、守ったりと状況設定をして行う乱取り。
選手によっても違う状況設定がされたりする。死ぬほどキツい。

追い込み期間は1週間で、試合の週は調整に入った。
これが大学か、と感じた。
高校生以下では割と直前まで追い込みがあったが、大学では朝練は体操だけになり、稽古も3日前くらいからは息上げ程度で終わり。
試合場まで車を自分達で運転し移動というのもびっくりだった。

関東学生は1部2部と分かれていて、1部は8チームのみで3試合だけだった。
初戦、準決勝と引き分け。
決勝戦は山梨学院だった。
先鋒で出場し、相手は同級生で全中チャンピオンだった。
一本勝ちし、チームも勝利し優勝。
筑波の団体戦の楽しい雰囲気が居心地よく、楽しかった。

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