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国士舘高校一年生前編

中学時代、勉強の方で学年順位はだいたい2番だった。(国士舘中学は40人ほどしかいないが)
高校に上がる際、中学担任からは一般クラスを勧められた。
「お前の頭なら普通にやっていけるし、むしろ一般クラスでやった方がいい」
それでも、先輩たちがスポーツクラスで楽しそうにしているのに憧れて、スポーツクラスを選択した。
正直、あまり良い選択ではなかった。

スポーツクラスの授業は課題を終わらせて寝ていた。
やる事やって寝てるだけで、静かだからと優等生扱いを受けた。
スポーツクラスの授業は中学レベルで簡単だった。
そしてテストの内容も簡単だったため、春学期の学年順位は4位前後だった。
勉強は好きだったので、もったいないことをしたと感じていた。

怪我スタートで始まった高校生活は、ひたすらウエイトトレーニング。
知識が無かったため、毎日ベンチプレスしていた。意味が無いことはないだろうが、かなり非効率だった。
走ることも出来ず、寝技だけ参加した時期もあった。
5月にようやく完全復帰、そしてGWの合宿が始まった。
全国各地から強豪校が集まり、午前中乱取り、午後は練習試合だった。
試合では、ただひたすらに寝技を狙い続けた。

立技はボロボロだったが、寝技はしぶとくなり、対他校においてはかなり自信を持てた。
できない事ではなく、できる事に注力した結果だった。
『できる事を、やる』
ことの大切さを学んだ。
練習試合でも立技は一切かけれなかったが、寝技だけで勝利して監督に褒められた時もあった。

寮生活では、先輩の洗濯などもちろんあった。約30人の寮生に対して洗濯機は5台。
いつも争奪戦だった。
練習後は急いで帰ってやることをすませ、点呼後にウエイトをした。
先輩の洗濯が多いと、トレ室に行くのが23時近くなった時もあった。
「俺のもやっといて」だったり
「その洗濯機次使って良い?」って断れないことを良いことに何時間も洗濯機の前で待ち続ける日もあった。
それでも、意地になって毎日トレ室に向かった。
『次使って良いわけないだろうが!!!何のために洗濯機の前で待ってると思ってんだ!!!アホなのか!?!?』
と苛立ちをバーベルにぶつけた。

5月のインターハイ(以後IH)予選に、枠が余って出れることになった。
高校も中学同様に、都大会には同校から2名しか出場できない為、潰し合いの組み合わせになった。
この時から90kg級だった。
結果は初戦で一つ上の先輩に指導負け。
都大会すら出れず一年生の夏は終わった。
中学三年の終わりから、一年生でも結果を出してやると意気込んでいたが、そんなに甘く無かった。

朝練は月火水金に6時15分から7時15分。
(監督の機嫌が悪いと7時30分)
練習は15時45分から19時40分位。
(監督の機嫌が悪いと20時30分)
ある時、20時50分に練習終了後、ウエイトやれと言われ、10分後に寮食のおばちゃんに迷惑だから早く帰れと怒られた。
理不尽の記憶。笑

金鷲旗、IHの時期が近付いた。
追い込み練習は、中学時代以上にハードだった。
夏休みは基本毎日大学生が来てくれて、選手が元立ちで乱取りをしていた。
選手以外は基本周りに立ってぶつかりそうになったら壁になったり、声を出しているだけだった。
私もその中の一人だった。

夏前の練習は選手中心。
選手元立ち乱取りをして、その後選手が休憩してる間に少し乱取りを行った。
強豪校あるあるだが、選手以外は自分の練習ができないため、自分は選手の為にいるように感じ、嫌になってしまう。
ここで腐るか、空いた時間に何をするかがとても重要と考えて、自主トレを続けた。

午前と午後の間にウエイトトレーニング、夜は外に走りに行った。
少しずつ知識も増え、ウエイトは
•ベンチなどのプッシュ系
•スクワットなどの下半身
•デッドリフト
の3つに分けて、週に2回ずつ行った。
日曜日以外の週6日行った。
ラントレに関しては、長中短距離をローテーションで行った。

ウエイトで背中パートは高校時代無かった。
柔道家には引く力が大事なため、今思えばおかしな話だが、トレーニングの指導者がいなかったこと、勉強が足りずに人の見様見真似だけでやっていたせいだった。
トレーニングのフォームについても、ちぐはぐなものが多く怪我もした。

金鷲旗は東海大相模に負けて3位だった。
この大会は、選手と三年生全員と数名の下級生で現地入りする。
選ばれる下級生は、翌年の選手候補。
私はもちろん選ばれなかった。
分かっていたが、これが監督の評価。
IH予選もサクッと負けて、中学の成績も無いのだから当たり前だ。

福岡IHも作陽高校に負けて3位。
試合とは関係ないが、
福岡の久留米に引っ越した幼馴染が自転車で何時間もかけて試合会場に来てくれた。
(当時中学生だから長旅だったと思う)
いつか福岡でやる選抜体重別って大会に出るから、その時は試合する姿を見てくれ。
と約束した。

IHが終わり、1.2年生は1週間だけ解散して新チーム始動。
2年生からメンバーに入ることが目標だった私にとって、ここからが本番。
たくさんアピールして選手入りを目指した。
夏休みも終盤、少しずつ監督に褒められることが増えてきた頃、足関節を捻挫した。一部骨が砕け、いわゆる「ねずみ」の状態になった。
全治2ヶ月だった。
『どれだけ怪我すればいいんだろう』
『良くなってきたと思えばすぐ怪我だ、、、』

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