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【ちょっとおバカ】交渉人、今市警部


場火田ばかだ市、安保出あほで署の警官たちは日々市民を守っている。その献身的な使命感と強い責任感が、我々の日常の安全を支えている。

場火田市は今年、不名誉なことに犯罪都市ランキング1位に登り詰めた。それでもなお、凶悪犯罪は増加の一途を辿っている。



「現場3-9より報告。重大事件発生。現場は場火田市内○区〇丁目。状況は被疑者が包丁を所持。1名の市民を人質に取って立てこもっている模様。応援要請、至急」

「こちら指令室、了解。重大事件発生、○区〇丁目。包丁を所持した被疑者。応援要請。全ユニット注意喚起。今市いまいち交渉人は直ちに現場へ向かえ」

「了解、こちら今市。パトロールカー555。現在暴走族1名が私に急行中。彼から因縁つけられ次第、速やかに謝罪予定。現場への到着予想時刻は未定」

「こちら指令室、了解。全ユニット、今市交渉人の応援に向かえ。緊急支援が必要な場合、特殊部隊を直ちに派遣する」



「今市警部、こちらです。随分と遅かったじゃないですか。おや、顔の傷どうされたんですか?」

「いや、ちょっとな。気にすることはない。それより状況報告を頼む」

「はい、被疑者は脇腹に重傷を負い、刃物を所持。女性を人質に取り、あそこの建物に立てこもってます。被疑者の傷は警官の発砲によるものです」

「ばかやろう!なんで発砲した?俺が到着するまで待てと言ったはずだ」

「しかし、今市警部が居たら撃たせてもらえないじゃないですか」

「そうか、それもそうだな」

「被疑者と連絡は取れてるんだろうな」

「いえ、まだですね」

「なぜだ!」

「ダイレクトメッセージを飛ばすとびっくりさせちゃうからですよ」

「お前は一体何を言っているんだ?文末に絵文字を付ければ済む話だろうが!常識だろ、まったく」

「3個付けたらすぐかかってきました。あとはお任せします」

「……もしもし?私は今市という者だが、貴方の交渉……あ、母ちゃん?
え、弁当は忘れてないよ?病院の送迎?あ~土曜日なら……うんうん。じゃあね~。って違うだろうがあほか!」

「手違いでしたすみません。今度は犯人からです。どうぞ」

「もしもし?私は今市という貴方の交渉人だが、傷の具合はどうだね?それから貴方のペットの名前を聞かせてほしい。できたら貴方の名前も」

「……お前らのせいで傷が痛むよ、ひい!俺はもう駄目だ。人生終わっちまった。ペットなんか飼ったことねえよ。あー名前か、吉田銀次、45才だよ」

「銀次さんか、いい名だ。うちの死んだ猫と同じ名前じゃないか。それも腹に傷を負って……とにかく人質を解放してほしい、そうすれば楽に死ねるから」

「刑事さんよ、それはできねえ話だよ。俺の最初で最後のカードだろ?」

「そう言われればそうだな、では交渉に移ろう。要求はなんだね?」

「その話を待ってたよ。まずカネだ。銀行からありったけカネもってこい!」

「解った。ではまたかけなおす」

「おーいそこの君!今すぐ銀行員名簿を探れ。カネという名前の銀行員をありったけ連れてこい。バスもチャーターしてな、わかったな?よし」



「やっときたか、遅いんだよ。被疑者の苦しみが解らんのか!」

「もしもし、銀次さん?今からカネさんにお電話変わりますからね」

「どうもはずめますて、山田カネで……フゴ?あらやだ、入れ歯落としちゃったわ。どこ行っちゃったかしらねえ?刑事さん、ちょっと代わって」

「……刑事さんよ、もういいよ。俺は金なんか欲しいわけじゃねえんだ。俺はこれまでずっと、人に無視され続けて生きてきたんだよ……」

「銀次さん?電波悪いなあ、銀次さん?……続けて生きてきた?はいどうぞ続けて」

「いや、今の話を聞いてもらえただけで俺は満足だよ。またな」



「おーい君、こっちきなさい。被疑者がな、虫に刺され続けて生きてきたって言うんだが、どう思う?可哀そうだと思わないか」

「それはつらいと思います。本件の動機でしょうね」

「そうだよなあ、同情する。うーん、小銭あったかな。君、貸しておいてくれる?でね、薬局でムヒアルファEXお願いね」

「あー君、待って。いいかね、交渉人というものは、相手の立場に立って考えることが重要なのね。被疑者自身が気づかずに望んでいるものもある。今の彼にとってはムヒよりも欲しいものがあるんだよ。君わかる?」

「もしかして、ウナクールですか!」

「お前ってやつはほんと……どっちも一緒だろうがそれじゃあ。かゆみの原因を寄せなきゃいいのよ。つまり虫よけスプレーだよ。彼は喜ぶぞー。どうだ、気づかなかっただろ?」

「はい、まったく気づきませんでした」

「まあ、交渉人ならではの頭脳があってこそかも知れんがね。じゃ、薬と両方買って来てね。それと看護師も一名要請してくれ。一刻を争う事態だから急いで」



「もしもし、銀次さん?そちらに看護師が一名向かったから、かゆみの手当と予防だけしてもらって下さい」

「刑事さんよ、俺はもう動けねえんだ。うつ伏せになってるよ。何だか意識が薄れてきたようだ……今は自分のやったことに後悔してるよ」

「銀次さん……その言葉信じていいんだな?もっとたっぷり時間をかけて考えても構わないんだぞ」

「俺はもう少し生きてえ……そんで、誰かのために役に立ちてえ。俺の最後のわがままは救急車を呼んでもらう事だけだよ」

「解った。すぐ向かわせる」

「ピーポーピーポー」

「もしもし銀次さん?サイレンが聞こえるか?もう少しだけ頑張るんだ。貴方は決して悪い人ではない。ちょっと虫に刺されただけだよな。もう人質には手を触れないでくれ。私からの最後のお願いだ」

「刑事さんよ、もう到着したよ。でもなんだよこれ?脇腹に救急車が突っ込んできた。おもちゃの救急車じゃねえか」

「すまない、おもちゃの救急隊員はすぐには手に入らない。後ほど郵送するし、部下には厳重に注意しておく。謝ったからもういいだろ?人質を解放してくれ」

「ああ許すよ。俺はそんなに小さい男じゃねえ。あんたと話せてよかったよ。俺はこの女と一緒にあの世へ行くことに決めた。じゃあな、刑事さん」

「おい、銀次さん、早まってはいけない。その女に遺書を書かせろ!」



交渉人。強制力を使わずに言葉で戦うプロフェッショナル。
今市警部は、またひとつ心に傷を重ね、明日も犯罪の最前線で戦い続ける。


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