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日常写真

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雑記、小さな話題
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2020年6月の記事一覧

ブラウン管テレビ

部屋にはブラウン管のテレビが置きっぱなしになっている。デジタル放送開始前に買ったもので、久しぶりにスイッチを入れてみたら、画面が明るくなった。壊れてはないが、放送は映らない。一昔前の芸術作品のように砂の嵐がうごめいているだけで、使い道もない。昭和のレトロな年代物でもないから、インテリアにもならない。ただ、ビデオデッキと繋げてあって、昔録画した映画などを観れるようにしてある。それが唯一の使い道なのだけど、動画の多くはPCで観れるから、滅多に使うこともないまま、ずっと部屋に置かれ

日常B

日常にAとBがあるとすれば、写真に写った日常はBなのだろうと思う。というのも、写真を撮るとき、日常の本筋のほうは、なるべくフレームに入れないようにしているから、脈絡もなければ、人の姿もない景色ばかりが増えてくる。それらを眺めていると、どこか虚構じみて見え、普段の日常とは違った、といって非日常とまではいえないような、あえていえば「日常B」が、そこにあるように思えてくるのだ。写真に残る日常は、Bのほうばかりだ。

小さなエピソード

ネットは一種のコラージュのようで、モニタには光しかなく、それは物質かもしれないけれど、表示される文字がモノに固定されないためか、本のように読んだとしても、脈絡が象徴を動かすという感じがないまま、意味だけをつかむような読解になるという気がする。そういう読み方に、普段は慣れているわけだけど、写真も文字と同じ場所にあって、同じ光から出来ていて、モニタが映す光によって結びつけられている。この「光景」は、小さなエピソードが生まれては消える世界をつくりだしているのだと思う。

住宅地

住宅地に入ると、歩いている人も少ない。空には薄い曇がかかったまま、何事もなく静かな昼だった。曲がりくねった坂道が多い地域で、少し歩くだけで視界がどんどん変わる。やがて小さな公園があって、長いこと誰も遊んでないかのように、鉄柵が赤くさび付いている。そこを過ぎると、広い通りに出た。ここよりもっと郊外のほうへ行きたい気分になって、もう少し新しく開けた場所がよさそうだと思うのだけど、いつ行くかは決めてない。