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TRPG制作日記(105) 経済16

もしあなたに神への信仰があるのであれば、精神的豊かさとは何かを理解するのは難しくはありません。それは神を信じることであり、そして信仰に基づいて生きていくことです。あなたがどのような環境で生きていても、そしてどのような性格であったとしても、ただ神を信じているという事実があるだけで心は豊かなのです。

さて、今日は物質的な豊かさについて書きますが、直感に反して、この物質的な豊かさというのはそれほど明確ではありません。

たとえば、数多くのブランド品に囲まれて生きていることが、ただそれだけで物質的に豊かといえるのでしょうか?

あるいは、毎日豪食をしている肥満は、健康を犠牲にしてるにもかかわらず本当に豊かなのでしょうか?

好きな人と二人でぼんやりしているだけの時間は、どのように解釈するべきなのでしょうか?


さて、私たちの人生を振り返ってみましょう。そうすると、私たちは多くの商品に囲まれていることに気がつきます。

シャツやジーンズ、スーツやドレスなどは既製品もオーダーメイドも商品として購入できます。

肉や魚、卵や野菜、そして米やパンは商品として販売されています。

土地や家は購入できます。

他にも医療や教育も商品として販売されています。たとえ、それが義務教育で提供されていたとしても、そこには多くの企業が関わっており、商品が関係しています。


さて、シャツがシャツであるのはシャツとして着ることができるからです。

肉が肉であるのは、肉として調理できて、肉として食べることができて、そして肉としての栄養があるからです。

もし住むことができないのであれば、たとえ家の姿をしていたとしてもそれは家ではありません。

このように、商品は使用することができて、そして使用される能力を持っています。そして、生活とは商品に囲まれて生きていくことであると表現しても過言ではありません。

この私たちの生活を生み出す能力、私たちの生活で、その存在がどのように使用されるのかを使用価値と呼びます。


直感的に明らかですが、使用価値は質的な量です。そして、質的に異なるものに優劣を付けることはできません。

住むことができる能力と、食べることができる能力のどちらが優れているのかを議論することは無駄なことです。

米とパン、どちらが優れているのかは無意味で、むしろどちらが好みであるのかを考えるべきでしょう。

また、私たちの生活空間は有限なので、私たちを取り囲むことができる商品の量は限られています。

テーブルを10脚購入すれば、1脚しか持たないときに比べて使用できる使用価値は増えているかもしれませんが、普通は10脚も必要ないので、増えた使用価値は無駄です。

また、食べ物に関しても、どれだけ目の前にご馳走があっても無限に食べ続けることができるわけではありません。

このように私たちが利用できる使用価値には制限があり、そして使用価値は優劣ではなくて好み、どちらかといえば理性で判断することではなく感情で判断することになります。


にもかかわらず、この世界の貧富を論じることができるのは、商品には使用価値だけではなくて交換価値があるからです。

肉AとテーブルBは、そもそもその使用価値が質的に異なるのでどちらが優れているのかを論じることはできないはずです。しかし、この二つの商品は等価交換方程式、

aA=bB

で結びつけることができます。この方程式で結びつけることで、本来は優劣が存在しない商品に優劣を与えることができます。

等価交換方程式により、質は量と結びつけられるのです。


また、以前の議論において、交換価値は商品をBとA、労働をWとしたときの価値方程式、

B=WA

から導くことができる価値を反映していることを仮定しました。

また、労働とは労働者の精神を物質化するものです。そして、それは時間の量に比例して増加していきます。


このことから、商品はどれほど労働者の精神が凝縮されているかで数値化されていると解釈できます。この数値は価格として現れます。


ここで私たちは二つの物質的豊かさが存在していることに気がつきます。それは自分の好みの使用価値に囲まれること、すなわち自分らしい生活を送ることができるという物質的豊かさと、ただひたすら高価な商品に囲まれるという交換価値の高さによる物質的な豊かさです。

多くの文学作品においては、成長とは交換価値のみを物質的な豊かさと考えている俗物が、使用価値に目を向けること、すなわち他人の目から見た豊かさではなくて自分の目から見た豊かさを考えることができるようになることを意味する場合が多いように思えます。

すなわち、成長とは交換価値から使用価値への意識の転換です。


これは恋愛においても同様で、たとえば背が高い美形で、高所得で高学歴な男性を愛さなくてはならないと必死になっている女性が、そうではなくて自分が結婚して仕合わせになれる相手を探そう、そのような人と結ばれたいと思うのが成長です。

このように、世間からどのように思われているのかではなくて、自分がどのように思うのかを大切にするのも物質的な豊かさの探求です。(これは社会主義と呼ばれることがあります)。


とはいえ、それでは金銭的な資産は生活の豊かさには何一つ影響しないというわけではありません。価値方程式、

B=WA

は価値が時間により決まるというだけではなくて、そもそも使用価値が労働により生まれることも意味しています。

そのため、私たちは自分の好みの使用価値を得るために十分な収入を必要としているのです。

そして、自然が人間のために創造されたわけではない以上は、たいてい有益な使用価値は価値に、そして価格に比例します。

交換価値から使用価値への意識の転換は、ただそれだけにより使用価値による豊かな生活を保障しません。

貧困が問題になるのはそのためです。


今日は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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