感想『迷える羊』-未来の人々ために今私ができること-

前置き

お金の少なかった子供の頃は購入したCDを曲から歌詞カードの隅々まで堪能し、歌詞を写経し、自分なりの歌詞の解釈をして噛み締めていた。しかし、気づけばいつの間にかそれをしなり、それに比例するように物思いに耽り人生について哲学することも少なくなってしまったように思う。
久しぶりに時間ができたので、今回は米津玄師の『STRAY SHEEP』を堪能しよう。
歌詞の考察は誰かかがしてくれるだろうから、私は曲から考えたことでも書こうか。

今回参考にするのは以下の3つです。(アルバムを持ってない人の為に歌詞リンクも張っておきます)


千年後の世界で生きている人たちのために自分が今できること

「千年後の未来には 僕らは生きていない
友達よいつの日も 愛してるよ きっと」

この曲は未来への祈りの曲であると同時に、今の自分たちへの救いの祈りの曲であると考えている。
米津玄師はインタビューにて、今この世界に生きていく上で自分がやれることはポップソングを作ることだと答えている。出会ったらきっと友達になれるであろう千年後の誰かのために、今自分にできることは曲を作ることなのだと。
常日頃私は「目の前にいるこの人達を幸せにしたい」と考えながら生活をしているが、「未来のために自分が何を成すか」というのは、思えばあまり考えてこなかったように思う。

小・中学生くらいの頃、私は将来子供がほしいと思っていた。自分が生きた証明が欲しかったのだ。自分がいつか死んで、自分のことを覚えてくれているすべての人々が亡くなったその時に、私という存在が居たということが世界から忘れ去られてしまうかもしれない、そう思うとそれがたまらなく怖かった。未来のためなんかじゃない、そんな自分のエゴで子供がほしいと思っていた。それから何年もたった今でも私は子供をほしいと思っている。けれどその理由は以前からの理由の他に新しいもう一つ理由がある。「この人との子がほしい」と思える人ができたのだ。
「この人との子がほしい」 それはすごく漠然とした理由だが、なぜ私がそんなことを思うのか、改めて考えてみれば「この人とともに育て共に暮らす子はきっと健やかに幸福に育つに違いない」と想像できるからであり、それが実現したならば、今まで私が色んな人から受け取ってきた幸福が私という個人の枠を超え、次の世代へとつなげることになると思えるからなのだろう。
もしそうであるならば、私がその人との間に子をなすことができるならば、もしかしたらそれは私なりの未来のために自分ができることなのかもしれない。

思い返せば日頃の「目の前にいるこの人達を幸せにしたい」だってそうだろう。私が他人にあげたいのは目先の快楽なんかじゃなくて、自己の成長をを感じたときや何かに思い悩んだときに「あぁ、そんな事もあった」と思い出されるような記憶だ。「私が今こうしていることが、この先のあなたの人生が幸福の方に近づくことにつながればいい」そう思って行為しているならばこれもまた、きっと未来のために私ができることの一つだろう。

米津玄師は千年後に生きる人々を友と呼び「愛しているよ」と歌ってみせた。私には未来の誰かなんて不特定の対象に「愛している」と実感を持って言うことはまだできない。
けれどもしも、相手に何かを与えたいと思う気持ちを「愛」と呼ぶのならば、「君が幸福でありますように」と思うこの気持ちは一種の未来への愛なのかもしれない。

「君の持つ寂しさが 遥かな時を超え
誰かを救うその日を 待っているよ きっと」

誰かを救う感情として、嬉しさや楽しさでもなくあえて寂しさを挙げるところがにくいチョイスだと思う。上向きな気持ちももちろん誰かの救いになるだろう。けれど、今感じている苦しみや寂しさでさえも、いつかの自分や自分でない誰かをの救いになるのだとしたら…今の自分が感じているものにもきっと意味が価値があるのだと思える気がする。生きていていいのだと言ってもらえている気がする。だから私はこれが今への救いの祈りだと思う。

Radioにて米津玄師は音楽を作る上で一番大事にしていることは迷うことだと言っている。彼が求めている音楽についても、私が求めている善や幸福についても、それらにあるであろう普遍的な答えは人一人の人生では到底到達できるものではないだろう。けれどその答えは何なのかと問い続けること、考え続けること、迷うことこそが生きるということなのだろう。
であるなら、タイトルにもある『迷える羊』が指すものは、人生に落胆し途方に暮れた人のことを指しているのではなくて、「これが本当に正解なのか」と模索し続けながら今を生きる人のことを指しているのかもしれない。

この曲の歌詞において私が一番好きなところは「君の持つ寂しさがー」の一節だが、曲調においては「誰かが待ってるー」のところが好きだ。それまでのずっとくぐもって息が詰まりそうな感じから開放されて少しだけ息が楽になる部分、裏で流れるピアノの旋律は迷いの中に垣間見えた希望のようにさえ聞こえてくる。

『迷える羊』は遥か遠くの未来へ思いを馳せる歌だが、もしこの曲を気に入った人には、『ナンバーナイン』もぜひ合わせて聴いてほしい。砂漠を歌ったはずなのに全く渇きを感じさせないこの曲は、遠くはるかな昔からのつながりを感じながら未来を思い描いている一曲だ。『迷える羊』に通ずるものがあるのできっと楽しめるだろう。