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青天の霹靂から2年

早くも最後の試合から2年の月日が経つ

振り返るから早いと思うだけ。

2019年11月17日がラストファイトに
なってしまったが、

プロスポーツ選手として夢を見た最後の瞬間は、
何にも変え難い時間だった。



記録として
2019.11月18日以降、
1ヶ月の出来事を書いた。


最後になったこの試合は、
バッティングして眉を切っていた為、
試合後の翌々日に
病院行くことが決まっていた。





直近で2試合連続で、
試合後の脳検査をやっていた為
脳検査も次いでの事で看護師さんが
予約を取ってくれていた。




まぁ大丈夫だろ。と、
いつも通りの検査の予定だった。
試合後なので、何を食うかばかり考えていた矢先


名前を呼ばれ、、



診察室で、主治医が深妙な表情をしてた。


重たい口調で、


『井上さん、、。』





『脳から出血が見られます。』



この一言が、



10年に及ぶボクシング人生の終わりを告げた。








過去のデータがある為、
比較対象として、
事細く出血の箇所を説明してもらった。





『とりあえず、ご家族の方を呼んで下さい。』



この時、

医師にあまり何かを聞いた記憶はない。




時間が経って忘れてる気もするけど 笑




『これ以上、競技を続けると寝たきりか
死ぬ可能性は間違いなくあります。』




『医師の意見としては、
酷ですが辞めて下さい。』



話をひと通り聞きながら、




『あ〜全てが終わった。』



それだけだった。


即日、検査入院だったので

診察室を出て、母親に連絡して
ジムのトレーナーにだけ連絡した。


検査の準備、、


母親が来て、トレーナーも来てくれて



医師からの説明




淡々と終わっていく。






病室に帰って、

母親の涙を見た。が、


その時は、ま〜しょうがないよな。
こうなる事も全て覚悟してきた事だから、、




試合前から前兆はあった。

寝ているのに、頭から下の方へ滑り落ちていく感覚

これは、入院した時も同じだった。



退院して2日後、、




思いつきで

死んでもいいけ!
もし、WBOのタイトルマッチの話が来たらやる!


とか言い出してた、、。




翌日の朝



普段、試合前くらいしか


連絡を取らないジムの会長から


移籍しない条件で、

WBOのアジアタイトルに挑戦出来るがどうするや。




もちろん、ジムの会長には何も話してはいなかった。

試合後に東京に移籍する事が決まっていた為、
この切り口だった。




これは、来た!

やるで!
死んでもえぇわい!




朝、LINEで見てすぐ母親に言うと




お前、本気でやるんか?



と、涙ながらに聞いてきた時に




初めて、我に返った。


おれが、思ってる状況と周りが思ってる状況は

違うんだな。と



初めて認識した。


ここからが大変だった。笑

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